2016年1月25日月曜日

2016.01.25

東京オリンピックのエンブレム問題で、目的に対して最適解を導き出すための文脈を考えたりプロセスを導き出すためのセンスみたいなものを分からなかったり信じられない人が多すぎるなって感じたんだけど、でもそれは作る側の自分にも言えることだなって最近気づいた。

当事者には日常的に成し遂げてる成果物に、よほど思い入れがない限り特別な事と思ってないし、昨年リリックビデオの仕事を沢山こなすようになって「文字を動かすだけ」ていう認識で仕事をしてると時々自分のセンスを疑ったりする。

でも、最近文字を動かすだけなのに、書体の趣によってモーションのニュアンスを考えたり、エレメントを分解して画面を構成することで生まれる文字の呪術的な世界観とか、いま自分がやってることは案外他の人には表現が難しかったるするんじゃないかな、と流行りのリリック映像を見てたりすると感じたりする。

ポートフォリオに公開してる成果物を見て仕事を発注されたりリファレンス出されて過去の作風なりアプローチを求められることも多くて、それにうんざりしてた時期もあったんだけど、得意なことを何とも突き詰め続けることに意味があるんじゃないかって最近考えるようになってきた。

今年は自分のセンスを信じれるようにしたい。

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