2013年11月17日日曜日

vimeo臭さ

最近自分のポートフォリオのサイトをTumblrに移行してから、全然コッチを更新しなくなったけど、ありがたい事に最近いろんな方から仕事を頂けて何とか食いつなげてます。最近はtwitterもエモいことを書き込むとキャプチャする人もいるらしいのでウカツなことがつぶやけませんね。

とはいえ、考えとかを言葉に一度落とし込む作業って学生の頃だとレポートとか論文で日常的にたってたのに、仕事が忙しくなって自分の考えを整理する機会が最近なくなってきたので、久々に最近考えてることをまとめてみる。


ーーー


大学二年の春休みにvimeoのアカウントを取得して来年の2月で6年になる。当時youtubeは360pxくらいの解像度でしかアップできなかった時代だったので、高解像度でカッコいいUIのvimeoは、英語のサービスしかない障壁もあったけど、とても魅力的なサービスっていう記憶があった。

とはいっても、youtubeとは違って認知度が低くて、コンテンツもまだ育ってなかった状況だし、アップすれば誰かが勝手に見てくれるような仕組み(関連動画っていう概念がない)でもなかったけど、ここ3年ぐらいで「作品性の高い映像が集まってるサービスといえばvimeo」っていうぐらいのパブリックイメージの獲得に成功してる印象がある。

おれが学部生のころは周りでモーショングラフィックスをガッツリやる人もいなかったし、vimeoを徘徊しても日本人の作家も少なくて全然友達できなかったけど、それに比べて最近日本でも個人でモーションやアニメーションやってる人もアカウントを取得する人が増えたなーと実感していて、その理由はvimeo自体が作品性の高い映像を見るサイトっていうイメージが定着してきて、逆にそこで作品を発表するっていうのは自分の作品性を評価してもらいたいっていう欲求があるんだろうな、と思ったり。



youtubeとは違ってvimeoは似たような思想とか価値観のユーザーが集まりやすい構造になっている。前者は作品に関連しそうな動画をページに掲載して、サービス自身が色んな作品と繋げようとしてくれるんだけど、vimeoの場合はそうじゃない。画像はomodakaのplum songのページ。関連動画に何故かBUCK-TICKのMVが出てくる。こういう偶然の出会いがvimeoにはない。




vimeoはユーザーによってキュレーションされた作品が見れる"channel"っていうサービスや、フォローすることでテーマに準じた作品が投稿と鑑賞ができる"group"など、「どんな人に作品を見せるか/どんな作品を見たいか」がユーザーのなかに明確に存在してるサービスといえる。ちなみに画像はvimeoの影響力のあるchannelの一つでもあるEverything Animatedそれがさっき話した「自分の作品性を評価してもらいたいっていう欲求」っていうのと繋がるし、ここ近年の日本の作家が英語サービスっていう障壁がありつつも参加してる動機だと推測してる。

ただ一方で、コンペとかで作品のサムネイルとか見ると、「あ、これvimeo臭いな」って思う瞬間があって、実際に作品名を検索すると案の定ヒットして、しかもそれなりにpv数も稼いでたりする。「カルチャーの匂いがする」っていう言葉があるけど、作品がどういう環境下で育ったのかが垣間見える作品には、さっき話した「vimeo臭い」と感じてしまうし、逆にvimeoがそれだけ文脈みたいなものが育ってきてるんだなーと実感してしまった。




このへんとかスゴいvimeo臭いよね。


でも最近自分のなかで「vimeo臭い」感じにどこか窮屈さを感じてしまう瞬間があって、そのサービスのなかでしか広がらないというか、見る人を限定的にさせてる感じが面白くないな、て思ってしまう。

そもそもweb自体がテレビみたいに勝手にコンテンツを提供してくれるわけじゃないから仕方ないといえばそうなんだけど、youtubeみたいな普段意識してない動画に偶然出会っちゃう構造ではないので、広がりを感じないのか、って思ったり。色々vimeoの文句言いつつもあそこで動画の発表辞めるか?って訊かれたら辞めるつもりもないけど。。。


ただ最近文脈依存しすぎるのも、どうなんだろうなーーーって思ったりしはじめたので、考えをまとめてみた。

もうちょいvimeo臭さって何かを考えたいけど、今回はここまで。

2013年11月5日火曜日

【レポート】気になったもの - Sep ~ Oct .2013

というわけで今月(というか二ヶ月間の間で)気になったものリスト。
相変わらずvimeoしばりだけど、今回は冒頭にも載っけてる"最後の手段"(←ユニット名です)が制作したやけのはらのMVが最高。あと今年が2ヶ月足らずとか驚愕ですが、恒例の2013年のベストビデオを勝手に決めちゃいます。

YAKENOHARA - RELAXIN' MV やけのはら / RELAXIN' MV from saigo no shudan on Vimeo.


The Jolly Dot from Skwigly on Vimeo.


DIY kindle scanner from peter purgathofer on Vimeo.


Media Space / Documentation from Universal Everything on Vimeo.


義足のMoses from ががめ on Vimeo.


Chained from Ruslan Khasanov on Vimeo.


BEAUTY OF MATHEMATICS from PARACHUTES.TV on Vimeo.


Pixel Press: Draw Your Own Video Game from Robin Rath on Vimeo.


SHAKE from Variable on Vimeo.


Rewind ECAL/Pauline Saglio from ECAL on Vimeo.

2013年8月9日金曜日

ピーター・ミラード イン トーキョーに行ってきた

先日(8/4)、渋谷のイメージフォーラムで行われたピーター・ミラード イン トーキョーの上映&ワークショップに参加してきました。

ピーター・ミラードといえば、変態アニメーションナイトによってコアなファンを獲得してるイギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アーツという美術系の大学院出身で、アニメーションを専攻していました。


ご覧の通り彼の作品は普段目にするアニメーション作品とは違い、お世辞にもルックは洗練されていないしアニメートもキレイな緩急が作られてなく、鑑賞者によっては作品として破綻してるようにも見えるが、それは鑑賞者側が無意識にアニメーションにおける表現様式を期待してるからに過ぎないと僕は思っている。


ピーターの作品を初めて目にしたのは2年くらい前で、たまたまvimeoのTLに彼の作品のサムネを目にして、あまりに造形が崩壊したビジュアルが気になってリンクを飛んで映像を見たら仰天したのだ。

どうしたら、こんな突拍子もないモチーフの組み合わせとメタモルフォーゼを思いつけるのだろうか。彼の作品の裏側を知りたいと思っていたので、今回開催されるワークショップで、その創作の原点や秘密を知ることが出来ると思い、期待を膨らませた。



ワークショップではピーターの制作プロセスの解説と、それに基づいて参加者が40コマで4秒のアニメーションを作って、一本の作品に仕上げるという流れになっている。肝心の制作プロセスだが、ピーターは無意識のうちに思いついた言葉をすぐさまノートに書き続けて、そのなかで特に印象的だった言葉を厳選して、それらをアニメーションのモチーフにしていくというシンプルなものだった。

参加者は皆、イメフォの教室に鳴り響くピーター厳選のジャズミュージックをBGMに黙々と紙に思いつく限りの言葉を書き記していくが、僕は何故か「ピーナッツ、豚小屋、目玉」という要素が印象的な言葉として残ったので、最終的にその三つを自分のアニメーションの要素に登場させようと思った。





これが当日20名近く参加した受講生とピーター本人のアニメーションが一つになった作品(ちなみに僕のは1分後くらいに登場します)。実際にWSに参加してみて感じたことは、3つの言葉の要素を一つのアニメーションに組み合わせようとすると、普段自分が使う造形を起こすためのロジックとは違ったイメージの展開が出来てしまった事に驚かされた。

自分の知らない脳みそのコントロールの仕方を体感したような、とても新鮮な経験だったと思うし、言い方を変えると自分の体のコンディションを理解してつもりだったが、全然理解出来てなかったようなショッキングな経験とも言える。

あとは美大受験以来に画材使って作品を作る経験をしたので、自分の体からダイレクトに欲しいイメージを書き写せるスピード感とか身体性のもつ気持ち良さを久々に体験したのは楽しかったなぁ。



当日翻訳と司会を担当した土居さんもお疲れ様でしたー。
ピーター、また日本に来ないかなぁ。



2013年6月24日月曜日

【告知】Her Ghost Friendのリリパに出演します

ってなわけで7/11はHer Ghost Friendというエレクトロデュオの最新EPのリリースパーティにcokiyuさんのVJとして出演します。昨年は渋谷WWWでもHGFと共演しましたが、今回は舞台が2.5Dともあり、3面プロジェクションされた空間。いつもの素材もちょっと違った見え方になるかと!

他の出演者に関西からの刺客metomeに西洋妖怪submerseが出演します。
見てて涼しい素材を用意するので、良かったらきてちょーだい。





出演:Her Ghost Friend、cokiyu、Metome、submerse

会場:2.5D(渋谷PARCO part1 6F)
時間:OPEN 19:30 / START 20:00 / END 22:30
配信ページ:http://2-5-d.jp/livestream/
観覧料:¥2,000
イベント詳細:http://2-5-d.jp/schedule/20130711/#.UcGx6b-5Sv1.twitter

2013年5月31日金曜日

【レポート】気になったもの - May.2013

どうも。
5月はなぜか大作や良作が沢山見れた月でしたので、多めに選出。
来月で上半期ラストなので、近いうちにこれまで選出した理由とかを言語化したいなーと思ってます。


Sefton's Dream from Michael Aubtin Madadi on Vimeo.



Juice from Jack Cunningham on Vimeo.



Boiled from Jack Cunningham on Vimeo.



Why Us? from NB on Vimeo.


CNBC Prime from Gretel on Vimeo.



TOKYO CITY SYMPHONY from roppongi hills on Vimeo.


ChildLine: First Step from Buck on Vimeo.


The Clockmakers /Les horlogers from National Film Board of Canada on Vimeo.


Astigmatismo from Troshinsky on Vimeo.


Tallest Heights from The Lincoln Motor Company on Vimeo.



We should make strange things from TANGE FILMS on Vimeo.


Telstra "It's How We Connect" from Lucinda Schreiber on Vimeo.


Google Street View Hyperlapse from Teehan+Lax Labs on Vimeo.

2013年5月29日水曜日

【ご報告】『#チャネル5』終わりました

【CHANNEL#5】Seiho × VJ 大橋史



ってなわけでMTUG主催『チャネル』でのseiho x 大橋史の様子が公開されました。
(当日のほかの出演者の様子はコチラでチェック!

max/mspやjitter使いが多い中、ポンだしが僕だけ(だったとおもう)なので、アウェー感ハンパなかったんですが、イベントそのものはリアルタイムという生き続ける映像のもつ面白さが体験できる良質なオーディオビジュアルイベントだったと思います。

プレイした感触は、六本木スーパーデラックスの三面横並びのスケール感がとても気持ちよかったです。パンニングするような素材はかなり威力を発揮してました。

改めてオファーをしていただいたMTUGの皆様ありがとうございました!それとseihoさんとも初めてお会いしたのですが、当日着てた衣装が勾玉みたいな陰陽柄が、霊幻道師みたいでキテるな、と思いました。あとfushimiさんの女子モテっぷりもヤバかったです。

本番当日、macを繋ぐVGAをDVIと勘違いしてしまい、かなり焦りましたが楽しい一夜を過ごせました。久々のVJ、かなり楽しかったのでコンスタントに続けたいと思ってるので、ブッキングお待ちしてます!!!

2013年5月22日水曜日

【VJ出演】TMUG主催『チャネル#5』


昨年12月のREPUBLICぶりのVJ出演です。
今回はTokyo Max Users Group主催のイベント『チャネル』に、コードが一切書けない私が出演することになりました。謎な展開ですね。

REPUBLIC同様に◯◯x◯◯みたいな、ミュージシャンとVJのタイマン形式のイベントのようで、僕は関西のトラックメイカーseihoさんとの共演。


アー写の釣り合わなさ、ヤバいですね。


完全なアウェー戦ですが、楽しんできます。
前売りはなかなかお手頃なので、自分用と愛人用と実は気になってる子用と三枚セットで買うのがオススメです!


オラ、.wav.wavしてきたゾ。。。!!!


ーーー

TMUG presents
チャネル#5
5/24(金)
会場:六本木SuperDeluxe
開場 19:00 / 開演 19:30
料金 予約1500円 / 学生1000円 要学生証 / 当日1800円
主催:Tokyo Max Users Group
協賛:株式会社エムアイセブン・ジャパン 
BRDG、+MUSなど数々のプロジェクトを展開するTMUGが贈るオーディオビジュアルイベント「チャネル」を開催します。
関西から世界に発信するDay Tripper Records主宰であり日本を代表する若手プロデューサーとして躍進するSeiho、”夢眠ねむ”や”AZUMA HITOMI”のRemix案件が次々と舞い込むほどのモテキに突入したコバルト爆弾αΩ、メロディックで激しいブレイクコアや、IDMを得意とするつくしレコーズのumio、Ryu KonnoとNOEL-KITによる新プロジェクト天狗マガジン、名古屋在住のTetsumasa OkumuraによるDub Electronic プロジェクトDevecly Bitte、Max/MSPのスペシャリストとして知られ自作ソフトウェアによって独自のサウンドを追求するKatsuhiro Chibaが会場を振動させる!
そして、SuperDeluxe3面スクリーンを彩るVJ陣はMax/MSPなどプログラムを用いたジェネレイティブな映像表現を得意とするYousuke FuyamaNaoto FushimiMax Rakisuta、日本のクリエイティブコーディングシーンを牽引する田所淳、言葉、文字、図形譜、ビジュアルミュージックをテーマにアニメーション表現を行う大橋史!

2013年4月27日土曜日

【ご報告】映像作家100 2013年度版掲載

ご無沙汰しております。
今月から発売になったBNN出版からリリースされる「映像作家100」の2013年度版に僕の最近の仕事や作品などが掲載されてます!




ご覧の通り半分がcokiyuさん関係の案件です。胸を張って「僕が作りました!」と言える作品が2年間の間に作れて、それを評価してもらえたのは嬉しいです。協力してくれてる友人やミュージシャンの方々にも感謝!今年もエモい映像作れる様にします!!!

しかし今年はREPUBLICによるリリパないのは寂しいなぁー
去年はcokiyuさんとのライブ楽しかったので、MVやCM以外にもお祭り感のあるイベントにVJとして出演させてくれる機会を頂けるとハリキリます。

ちなみに今年はショーリールにも自分の作品を収録させて頂いたので、DVDも是非ご覧になってみてくださいー。

!!!お仕事お待ちしてます!!!


ISBN:978-4-86100-868-9
定価:3,990円(本体 3,800円+税)
仕様:B5判/256ページ
付属物:DVD-ROM x 1
発売予定日:2013年4月23日
編集:庄野祐輔、古屋蔵人、藤田夏海

2013年3月21日木曜日

【ご報告】"転校生 - エンド・ロール"MV公開



ってなわけで転校生の楽曲『エンド・ロール』のMVを自然写真を研究していらっしゃる写真家の山本渉氏と一緒に作りました。

内容は昨年末に行われたREPUBLICの映像素材を中心にMVとして再構成したのですが、今回は楽曲の歌詞のフォントをすべてデザインして映画のタイトルバック風のMVに作り直すという方向性になりました。(VJネタを見たいかたはmetromoonのTumblrをチェック


上の画像をクリックすると拡大されたものが閲覧できます。

REPUBLICのVJネタと同様に、フレーズごとにヒラギノ明朝体をタイピングしてアウトライン化。その後、部首ごとなどに分解して造形は異なるけど同じ意味の言葉のタイポグラフィを作ります。

それによって、転校生のもつ歪さを含んだコミュニケーション感を表現できるんじゃないか、、というのが狙いです。


過去に作っていた映像はカットやテンポを重視してたけど、今回は静止した画で見せてく映像は滅多に作らないのでとても新鮮な思いで作れました。あと実写素材を提供してくれたwattyにも感謝!実写がなければ作れなかった笑

2013年3月18日月曜日

【新作】こうこう | koukou について(2)


『こうこう | koukou』

無意味な言葉の可視化を試みた抽象アニメーション+肉声による多重録音作品
『見たモノを描いたのではない。見ようとしたモノを描くのだ。』

監督: 大橋史
作曲: 羽深由理
ミキシング: 滝野ますみ
歌: ルシュカ
ドラム: 田中教順 (from DCPRG)
---
五十音節gif animation
koukougif.tumblr.com/




というわけで最新作『こうこう | koukou』の解説後編です。後半は音楽や映像の演出について込み入った説明をしていきます。


ーーー

・音楽について
カメラを意識させない映像演出でいうと前作CHANNELERにも共通している部分だけど、CHANNELERとこうこうの映像の構造や展開も対局にある作風にしたいという意識が制作を進めながら、その意志が強くなったと思う。

前者はジェンガみたいな、シンプルなルールの上で一つの構造を積み立てていく様がスリリングになるように作っている。後者はドミノ倒しみたいに、ルールや構造よりもダイナミクスやアクロバティックさを重視している。


映像が縦に緊張感を与える構造なのか横なのか、、というおおまかな構造を根本的に違った作品にしたかったからだ。その結果、楽曲はプログレッシブロックのような変拍子と高い歌唱力が必要とされるメロディとリズムセッションの嵐となった。



羽深由理と滝野ますみと三人で楽曲についての方向性を話した際にオーダーとして「上原ひろみのようなプログレッシブジャズと歌ものが融合したような曲に映像を付けたい」というアプローチをシェアする。

ここで問題なのは、ジャンルをジャズにしてしまうと音楽を演奏するプレイヤーの個性に依存するジャンルのために、コンポーザーとしての力を発揮できないという理由で、結果的に「プログレッシブな楽曲」という方向性が残る結果に。



今回の音楽面で顔とも言えるヴォーカルについて話すと、元々、僕が過去の二作品が男性ヴォーカルたったので、今回は女性を起用したいと意見した結果、歌唱力と表現の幅の広さからニコニコカルチャーで人気の高いルシュカに依頼する流れになった。

ルシュカはロック調の力強いボーイッシュな歌声からオペラのような神々しいファルセットまで使いこなす七色いんこのような歌手で、今回の声や言葉が重要な作品においてハマり役と言える。

声を主役にした楽曲なので、バックを支える音の要素は出来るだけシンプルにしたい。最初の希望は「声・ドラムセット・金属音の楽器・電子音」という肉声に対して自然物では出せない音である金属音と電子音を組み合わせて対比効果が生まれると思い起用。

実際、ヴォーカルのルシュカが女性のため、高音に偏ると音楽に深みを出しにくくなるという理由で先に挙げた音にウッドベースを追加することに。

音楽面で最低限必要なメンバーが揃ったところでリリックをどうするかを決めていった。

無意味な言葉の歌をどうやって作っていくかが難題でした。進化論とか宇宙の誕生など既存のプロットがあれば作り易いけど、無意味でありながらクラシックのような時間軸の起伏が作れる言葉の歌を考えていくにはどうすれば良いか。

そこで、あらかじめ音楽と映像のダイナミクスをはじめに決めて、それにハマりそうな音節の組み合わせを考えていくことで、リリックが自然と決まっていく。

リリックは大きく分けて7つのフェーズで構成されており
1.イントロ 
2.点と線 
3.移動 
4.空間
5.言葉にならない言葉 
6.ドラマチック
7.アウトロ
というようなテーマが設けられている。


1.イントロ
楽曲の導入を花火を打ち上げたようなインパクトのあるシーケンスにしたく濁音を中心にした音節の繰り返しで構成している。

2.点と線
パ行とラ行と中心に構成。破裂と曲線的な運動が交差して空間に音が点在するイメージで構成。

3.移動
音が空間を移動していくイメージ。母音を引き延ばした歌詞の構成

4.空間
子音+母音(あ)で広がりのある歌詞に。後半はハ行を中心にエネルギーが広がるイメージで。

5.言葉にならない言葉
っっ曖昧な音節ハッキリした音節。言葉が段階的に変容していくイメージ。

6.ドラマチック
「っ」である促音を組み合わせて抑揚のある歌詞。メロディと相まってドラマチックな構成に。

7.アウトロ
イントロ同様に濁音の多い音節の構成。


1.イントロ
ば た ぱ だ  ば た ぱ だ  ば た ぱ だ
ば た ぱ だ
ば た ぱ だ    わわわわわわわわわ 
つゎとぅてぃてぃ つゎとぅてぃてぃ
しゅゎん ぐゎん  
るーーー


2.点と線
ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら ぽろりん ほろろん
ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら ぽっきん もっきん
ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら ぽるりん ほるろん
ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら ぽっけん もっけん (はーーー) 


ぱら  ぴり  ぷる  ぺら どこん どこん
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら ぽこぬ ぴかむ
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら にむのめものぬ
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら ぞっけん ぽっけん
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら ごっこん ぱっぽん
ぱら  ぴり  ぷる  ぺら ごっこん ぱっぽん
※ 

*~※ 繰り返し
び び び  ぎ ぎ ぎ       


3.移動
つぃー  すぃー 
とぅー  でゅー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー
つぃー  すぃー  とぅー でゅー ぴぉー げぁー



4.空間
(ささやき声で)
しゅるじゅるとぅるぬるあじゃぱー うにゃまー 
ほしゅふぃすょ にゃむぶしゅぇ みゃぷくぅ うにゃまうにゃま…
ゃにゃぴゃしゃか
わーーーーーーーーーーわーわーわー
ままままーーまー
ふぁふぁふぁふぁふぁーーー
はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(ほゃ をも いしけは にほた あお ねのゆむめ みまゐる さしせとつと)
りぇりぇりぇれれれれれれれれれれれれれれれれれれれ


5.言葉にならない言葉
っっ すぉすぉ  そそ 
っっ ぐぉぐぉ  ごご 
っっ ぬぉぬぉ  のの っっ ぷぉぷぉ  ぽぽ 
っっ すぉすぉ  そそ 
っっ ぐぉぐぉ  ごご 
っっ ぬぉぬぉ  のの っっ ぷぉぷぉ  ぽぽ 
っっ すぉすぉ  そそ 
っっ ぐぉぐぉ  ごご 
っっ ぬぉぬぉ  のの っっ ぷぉぷぉ  ぽぽ 
ず! ひゅーーー てててててて いー あーーー
おおおおおおおおおおおおおおお




6.ドラマチック
おっこそっとの ねてぺてけ
うっくんつっくぬ ひゃにゃぴゃしゃか
あーか さたーな もごもぞこ
うっくんつっくぬ ひゃにゃぴゃしゃか


いっきしっちに ねてぺてけ
くっつんぷっつる ひゃにゃぴゃしゃか
はーま やらーわ びりぴりき
くっつんぷっつる ひゃにゃぴゃしゃか


☆~★ 繰り返し


7.アウトロ
で で で
ぷ ぷ ぷ
む ず ぐ ゆ む
りーじぴ  ぎーーぢび
ぱらやん がわざん
だばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだばだば

いーあーなーぶーまぁーーー
いあばゐ
いうすた

詞を元に羽深さんと僕とでデモ音源と絵コンテの投げ合いから最終的な音源が決まり、歌を乗せ終わったらドラマーの田中教順さんのドラム録音、そして僕もコンポジットが始まった。

結果的に、展開の変化が激しい音楽になった分、カメラワークを使わずに展開を考えるのは至難の技であったが、後半を具象性のある展開にしたことで、印象的な映像の流れが出来たと思っている。




・網膜の内側の世界
今回は音をイメージした世界、、つまり人間の網膜(レンズ)の内側で起こっている出来事というのを意識してる。普段僕らが目にしてる映像の多くは、映画やドラマなどの誰かの視点や第三者の視点、つまり網膜の外側の世界がほとんどだと思う。

『こうこう』のキャッチコピーである

『見たモノを描いたのではない。見ようとしたモノを描くのだ。』

は、現実にある風景やイメージを書き起こすのではなく、見ようと思ったものを描きたいという意志を現した言葉です。つまり網膜の外を表現するのではなく、内側の世界を描く必要があるということだ。

このコピーを考えたときに被写体深度やカメラアイを感じさせるような演出、消失点のあるパースペクティブが必要か否かを考えたときに、演出的に派手にはなるが自分の作品制作の動機になった美学に反すると思い、上記の演出方法を使わない方針を固めた。

しかし分かり易い空間表現を排除したことで、映像の迫力をどう出すべきか、作りながらとても悩んだ。そのときに同じカメラを用いず映像を作る方法のダイレクトペイントで作品を作っているノーマン・マクラレンの作品を見直してヒントを得ようとしてみた。





マクラレンの『線と色彩の即興詩』という作品は、コマに何も描かない黒い画面しか映らないシーンや、作画されたコマの間に黒いコマを組み合わせて差分効果によって描かいてないコマに動きを補完させ「コマとコマの間に何がおこっているか」を考えさせる演出を多用している。

この作品の面白いところはカメラレスの世界のためパースペクティブの存在しないのにも関わらず、黒い空間が狭く感じたり広大に感じたりと、シーンによって空間認識に変化を感じさせる所だ。つまりパースを描かずに無限の空間を表現できている事に驚くべきところなんじゃないだろうか。


こうこうの作風がマクラレンに似てるのは、そういった背景があるかもれいない。




・CGの有限性・限界線
『こうこう』の制作プロセスはすべてAfterEffects(以下AE)という映像加工ソフトで完結するように作られている。

本来はカメラで撮影された実写映像や手書きのアニメーションの画像などの「素材」と呼ばれるものを加工するための「道具」だが、僕はこのソフトを「素材」として解釈して作っている。

しかしCGアニメーションという言葉を聞くと、アバターやトランスフォーマーといったフォトリアルなVFXを想像しがちだ。

考えてみれば戦時中に使われたソナーなどのフィードバックをビジュアライズするためのアナログコンピューターから今日のハリウッド映画のCG表現も、画像のリッチさの進化に違いはあれど、本質である「現実を再現する」ということに変わりはない。

だが、僕はCGの本質は、そういった何かの再現のためのツールとして解釈していなくて、今では当たり前となった「カメラレスの世界」を表現できる方法なんじゃないかと考えてる。言い方を変えるとレンズを通さなくても光を描けるのがCGの魅力である。

まずカメラを感じる世界とはどういうことを指すのか。それは任意の視点と、そこから知覚できる空間感(消失点のあるパースペクティブや被写界深度など)を把握できることだ。



幸運にも、そのようなCGを使った方法論と、先に話した「網膜の内側の世界」にはカメラを用いない映像表現と相性が良いと核心した。

先に紹介したダイレクトペイントという手法は、レンズを用いないで映像が作れるという点において現代のCG表現に精通すると考えた。しかもダイレクトペイントとは違ってフィルムや塗料を用いず物質性を排除し、純粋に光を画面に描けるという事を考えると、CGを現代のダイレクトペイントにアップデートできるんじゃないかと考えるまでに至った。

つまり、CGを使えばより純度の高い状態で音楽を聴いて目蓋を閉じたときにイメージしたビジョンを表現できると考えた。

色彩も「網膜にイメージが焼き付いた雰囲気」「画面に直接光を描いてるイメージ」を再現するために、アニメーションを起こしたオブジェクトをそれぞれシアン、マゼンタ、イエローの三色用意して、三つのレイヤーを加算して白い色を作っている。

その中でシアンを1フレーム遅れて動くようにすることで、先に挙げたルックのイメージを作り上げた。

この光の表現こそ、皎々と輝く様が今回の作品のタイトルの由来にもなっている。


ーーー

最新作『こうこう | koukou』の解説は以上です。

長々と書いてしまいましたが、直感的に楽しめる作品にしたつもりですが、改めてテキストに作品の背景を説明することで、作品の見方が少しでも変わって見えても面白いかな、と思いました。

当分、大作志向の作品を作る時間をとるのは難しいですが、またこうこうの続編的な立ち位置の作品を発表出来れば良いな、と思っています。

【新作】こうこう | koukou について(1)

『こうこう | koukou』

無意味な言葉の可視化を試みた抽象アニメーション+肉声による多重録音作品

『見たモノを描いたのではない。見ようとしたモノを描くのだ。』
監督: 大橋史
作曲: 羽深由理
ミキシング: 滝野ますみ
歌: ルシュカ
ドラム: 田中教順 (from DCPRG)

---
五十音節gif animation
koukougif.tumblr.com/



というわけで、無意味な言葉の音節の可視化を試みた抽象アニメーション『こうこう | koukou』をwebに公開しました!

今回は「無意味な言葉(音節)の可視化」をテーマにしたノンナラティブ(物語ない)作品になっていて、ニコニコ動画カルチャーで人気のシンガー、ルシュカの肉声をフューチャーした楽曲とシンクロしたアニメーションになっております。

恒例の作品解説ですが、今回は前半と後半に分けて書きました。全編では作品を作るキッカケとなった「無意味な言葉」と「音節の可視化」について僕なりの考えを記載しています。


・無意味な言葉とはなにか
もともと、2年前に作ったanimatope、僕の修了制作CHANNELERの続編的な立ち位置であり、3作品の共通テーマとして言葉を選んでいて、言葉の魅力とか面白さ、不気味さとかをどうすれば表現できるかを考えていた。

animatopeは「オノマトペに命を吹き込む」CHANNELERは「言葉の変容に翻弄される物語」こうこうは「無意味な言葉(音節)の可視化」と着眼点がそれぞれ違うようになってます。

こうこうは、前作CHANNELERの反動というか、自己否定するような作品で、文脈とか受け手の理性に依存しない作品を作りたい、、という所からスタートしてる。美術的な文脈は意識はしてるけど、そこを理解しなくても楽しめる作品を目指しました。

つまり直感的に楽しめるジェットコースターのような作品にしたかったわけだけど、そうなってくると深みのあるストーリーやプロットがどうしても蛇足に感じてしまい、それが「無意味な言葉」を使った音楽、そして「音節」に興味が向かってきた原因だと思う。

本格的な制作のまえに、言葉とは何か?ということを音楽制作チームと共同でリサーチしていました。このリサーチは前作CHANNELERでの経験を引き継いだかたちをとっていて、発見したことを箇条書きすると、、


  • 1音節でも意味は存在する(『す』は直線的な運動を現す言葉)
  • 音節が増すごとに意味が具体的になる
  • 音節には様々な運動がある(さ行は摩擦音、ぱ行は破裂音など)
  • 親を意味する言語にアの母音が多いのは、仰向けで喋ろうとする身振りの言葉
  • 無意味な言葉→身振りの言葉
  • 成長の過程で知性を得て文体のバリエーションが増える


と、日本語において、このようなことが分かってきました。

そのなかで興味を持ったのが「1音節でも意味は存在する」という点です。こうこうは、無意味な言葉の歌詞を歌にしています。でも、リサーチで1音節でも意味は発生するのに無意味な言葉の歌詞は作れるのだろうか?という疑問でした。



そんなとき、元永定正の本「ちんろろきしし」を読み直していた時、絵と一緒に載っている短い詩のような文章に、まったく意味を見いだせそうになかったのが、面白い体験として印象に残っていた。

なぜ意味が見いだせなかったのか考えてみると、言葉の音節の数や組み合わせに原因があると分かった。1音節というミクロの状態で言葉を観ると、単純な運動を現すオノマトペのように見えてきますが、2つ以上の音節が組み合わせをマクロな視点で見ると、次第で意味が見いだせなくなる。

意味が見いだせないというより、具体的な情報が抽出された言葉ではなく、人間の口から発する音がダンスのような運動に純化していくように思える。

つまり、無意味な言葉とは幼少時代に親にコミュニケーションを計る言葉と同じ身振りの言葉だと考えた。

そして、人間の生の歌声のもつ肉々しい音の性質を、アニメーションというコマを積み重ねる表現でなら魅力的な形で可視化できるんじゃないか、と当時の僕は考えていた。



・音節の可視化
音が可視化するということは、具体的にどのような事をすれば良いだろうか。そもそも音は空気の振動であって、それが鼓膜を伝って聴こえてくる物理現象なので、当然ながら目には見えない。

昔、学生だったころ、絵本サークルに所属していたときに、サークルOBだった方に普段作っているアニメーションを観ていただく機会があった。そのとき僕が作っていたアニメーションは、音楽で使われているブラスやパーカッションが台所で料理をしているときの具体音のように見える作品を作っていた。


その作品が上に張ったLet's Cookin' Jamという学部二年のときに作ったアニメーション。

その作品を見たOBの人が

「キミの作品は音の輪郭をなぞってるだけだね。音の内側を描かないと」

という言葉がすごく記憶にのこっていた。話の意味は理屈で理解できなかったんだけど、直感的に自分に足りなかったものが分かって、体中にエレキが走った。

昔の作品は、楽器音を日常の動作に置き換えたメタファーを使っていたが、その表現方法があまりに説明的だったと理解でき、その言葉がキッカケで音を具体的な様子の動作に置き換えたメタファーを使わず、抽象アニメーションの文脈に興味に向かわせた。

そして音の内側を描くというのは、音を形とか具象性のあるイメージに置き換えることよりも、運動で表現するほうがより純度の高い状態じゃないかと考える様になった。

音を運動で表現するとはどのようにすれば良いか。

音の運動や形を表現するのに、そもそも目には見えないので正しい方法は存在しない。だけど、作品にする以上、音を可視化したときに感覚的にならず、ある程度ルールとか理論を確立した方が良いと考えた。

なぜなら音楽にはピタゴラス音律や平均率といったパターン認識によって音階が作られているし、言葉の基になる音節も母音と子音の組み合わせによって成り立っている。音の可視化をテーマに作品を作るなら映像にも、ルールが必要だ。

そこで、オスカー・フィッシンガーのSTUDYシリーズを思い出してみる。






ストリングスを多用した楽曲と、鋭い線描の運動の同期が気持ち良いのと同時に、バイオリンなどの弦楽器が弦を摩擦する運動と、フィッシンガーの抽象的な形の運動が似ているように思えた。

そのとき、音を見える形に表現するには、音がどのような状態で発生する仕組みを理解して、その振る舞いを運動で表現すれば良い。





上のgifアニメは日本語の50音節をアニメーションにした表です。はじめは1音節ごとバラバラのgifデータをTumblrに公開してたら、ココのサイトの方がいい感じにまとめていただけました(ありがとうございます!)

人間の声は、楽器と大きくことなる点を言えば音色の数が豊富であったり、人によって声色が違うという点だ。

例えばバイオリンであれば、弓で弾いた摩擦音や弦を引っ張った音の二種類しか出せないのに対して、日本語は5種類の母音×9種類の子音の組み合わせによる音色の音が出せる。

この母音と子音の組み合わせをどのように可視化するか、というところから制作をスタートしていった。口や下の動きや空気の出方を参考にして、それを抽象的な運動にしてイメージを絞り出すように作っていった。


a…満遍なく運動が広がる
i…上下から平均した力が加わり押し潰れる
u…運動が真ん中に集まる
e…上昇感
o…上下に運動が広がる


k…角張った運動
s…素早く直線的な運動
t…跳ねるような緩急の強い運動
n…緩急のない滑らかな運動
h…面性を感じさせる広がりのある運動
m…分裂する運動
y…母音のiのようなつぶれたアクションから広がりのある運動にシフトする
r…曲線的な運動 
w…輪っかが出来る運動



先にも書いた様に、このルールを決めた基準は唇や舌の運動から由来しており、例えばs行の音の多くは弦楽器のような摩擦音の一種である。摩擦という運動から運動のスピード感を強調するために直線的で細いオブジェクトでアニメーションを付けることにした。

しかし、これらに従って原理的にビデオを作ったとしても映像の構成として魅力的にあるとは限らない。1音節ごとにパターンを読み取ってはフレーズという音の流れを区切る要素がなくなってしまいタイムラインが散漫な印象を受けてしまう。

そこで、歌詞の構成によって、音節の数をいっぺんに読み解いてビジュアライズするかパターン認識に変化を与えて作ることにした。

例えばビデオの「ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら」と、音が空間に点在するシーンを、最初は一音節ごとに運動を読み解いたが、ドラムとシンセサイザーが加わって曲が少し盛り上がったところで歌詞を二音節ごとに認識してアニメーションに起こした。(「ぱら ぴり ぷる ぺら」という感じ)

それによって、音節同士のつながりによって面白い形や運動を探って同じ歌詞でもアニメーションに変化を与えることが出来ると考えた。





ーーー
『こうこう』について、全編は以上です。
後半は歌詞や音楽、映像の込み入った演出について触れていこうと思います。


2013年3月1日金曜日

【レポート】気になったもの - Feb.2013

というわけで2月に見てきた映像作品の中で、気になったものをピックアップ。
1月に比べるとマッチョな大作思考の作品はあんまり見受けられなかったけど、作り手の視点が細かい所に神経を注いでるのを作品から感じ取れるモノが多かったのが印象的(雑な感想。。。)




HAM THE ASTROCHIMP from Eno Swinnen on Vimeo.



YAMASUKI YAMAZAKI やますき、やまざき from shishi yamazaki on Vimeo.



Love is in the Air from Wriggles & Robins on Vimeo.





YouTube from ucnv on Vimeo.




Surface detail from subBlue on Vimeo.



HUNGER from National Film Board of Canada on Vimeo.



New York: Night and Day from Philip Stockton on Vimeo.




Jamie Lidell - You Naked (taken from self-titled album 'Jamie Lidell' out Feb 18/19) from Warp Records on Vimeo.



bird shit from caleb wood on Vimeo.





Shilo - Premiere Global Services "Paper Airplanes" from BERNSTEIN & ANDRIULLI on Vimeo.






2013年2月14日木曜日

【レポート】モーショングラフィックスの定義(3) - CGとソフトウェア



上の動画はVFXの歴史100年分を一気に遡る、、というコンセプトの作品(初っ端からアレですが、埋め込みだと動画が再生されないので、youtubeのリンクを飛んでみてください...)

VFXというと、今でこそハリウッド映画のドキュメント映像で見られるブルーバックを使ったCGとの多重合成を想像しますが、短編アニメーションではメジャーな手法と言えるストップモーション(コマ撮りアニメ)も、上の動画を見る事で昔の映画では特殊効果の一種として扱われてきました事が分かります。ただ、20世紀末からパペットやストップモーションなどの物質性の伴う視覚効果から、技術的な進歩を大きく遂げた3DCGが活躍することになります。

今回は(過去の二回はこちらのリンクから→ 1,2)、そんなCG表現と、それに欠かせないソフトウェアの話からモーショングラフィックスの関係とかについて色々話せたらな、、、と思ってます。

ーー


■CGアニメーションとモーショングラフィックス



Dir. John Whitney - Catalog(1961)

CGアニメーションといえばこの方。
ジョン・ホイットニーは世界大戦中に使われたアナログコンピューターを改造し、CGアニメーションを制作するためのオリジナルのツールを開発したCGアニメーションのパイオニア的存在。なぜ彼がモーション・グラフィックスの関係をテーマにした話で紹介する必要があるのかというと、オスカー・フィッシンガーやノーマン・マクラレンなどの『視覚と音楽の関係』をテーマにした文脈において重要な作家だからであって、カメラや直感的な手仕事でした作る事が無かった映像をコンピューターを用いて立派な作品として提示した初期の作家だからです。特に注目してほしいのは、自身の著作である『ディジタル・ハーモニー』において、以下のような考えを表明している。



『私の研究の基礎は、まずなによりハーモニーの法則を認めることであり ー(中略)ー ハーモニーの協和音・不協和音のパターンが作る、人を引きつけ、あるいは人を反発させる力というものが音楽以外の分野でも起こりうる、ということが私の仮説である』







Dir. John Whitney - Arabesque(1975)

ホイットニーが最も興味があったことは視覚的な音楽=ビジュアル・ハーモニーを作り出すことで、その方法を手描きのアニメーションやストップモーションといった手作業であったり物質性のともなう手法ではなく、コンピューターで生成することに可能性を見いだしていた。元々ホイットニーは軍事用のアナログ式コンピューターの研究をしていて、それらのマシーンが物理演算などのシュミレーションが、自身が構想していた視覚的なハーモニーを表現するのに適していると確信していたようだ。何より、目的達成のためにツールから作ったことに驚きを感じます。

作品の多くは、簡単な要素(点とか線)の素材が複製され動きも反復されるだけという、シンプルな見せ方から、形と形が重なったり、それらが互いの間によって別の形が生まれてくる瞬間が現れるのが特徴的で、その形の変化と動きに視覚的なハーモニーを見いだそうとした。

上のリンクの作品『アラベスク』は、数式とコンピューターが生み出す光の運動とイスラム音楽の組み合わせは、イスラム教の『数』という概念を神として崇めている思想とリンクし、とても神々しく映ります。






Memo Akten

現代でホイットニーのようなビジュアルミュージック作品を作っている作家だと、vimeo界隈であったらMemo Aktenを思い出します。ホイットニーのアラベスクを彷彿させるオブジェクトの運動によって、DNAの遺伝子配列を彷彿するような、二次元なのに妙な奥行きを感じさせる運動のラグが見てて気持ちよい。なによりアラベスクとは違って、この作品は一つの仕組みによって音楽と映像が生成されてる、、つまり音と絵が組み合わさって一つの意味のある作品として成立するオーディオビジュアル作品ということが分かります。壁に接触することで、ミニマルミュージックのような音楽を生成する仕組みがとても面白いですね。



(あんま関係ないけど)また、上の動画を実写でやったかのような作品もあります。


実写版ビジュアル・ミュージックと言えそうな動画ですが、これは振り子の糸の長さに比例して球体の振れ幅が変わってく仕組みになっています。つまり糸が短ければ1往復するテンポが早くなるし、長ければ球体が往復するテンポがゆっくりになるという単純な構造。







ホイットニーも重要作家ですが、ラリー・キューバも忘れてはいけません。彼もCGアニメーション初期の重要な作家の一人。彼はスター・ウォーズの劇中に使われたデス・スター攻略シーンで使われたCGパートを制作したことで有名なんですが、彼自身もホイットニー同様に音楽のハーモニーの可視化を試みたような幾何学アニメーションを発表しています。



Dir.Larry Cuba - Calculated Movements(1985)
下のリンクはMotiongrapherで掲載されたラリー・キューバの記事。

http://motionographer.com/2008/03/31/larry-cuba-star-wars-computer-animation/


いまではAfterEffectsのような直感的なツールのおかげで、数学の知識がなくてもコンピューターを使って映像が作れるようになりましたが、CGアニメーションが作られた当初は、必然的に数学の知識が必要になります。しかしホイットニーもラリーも数学者ではなく、最も興味があったのはフォームや運動を作るための構造であって数学そのものではなかった。自分が追い求める芸術のためにハードそのものから開発して映像を作ろうとするテンションに頭が下がります。。

それと、数学と美術の話を結びつけた話を聞くとアーティストの木本圭子さんのインタビュー動画を思い出す。

木本さんやホイットニー、そしてラリーの作品のような抽象性の高い映像は、制作プロセスは数式やテキストといったプログラム言語を扱うのにも関わらず、観る者の感覚に優美なイメージを与えてくれるギャップが美しい。


(BGMスゴい。。。)

インタビュー中の木本さんの発言も印象的。


「最初に感性があるというよりも、構造の面白さがあって、それを追いかけていく過程で自分の感性と合致しはじめる」

「私は数学者ではないので、数学的に正しいかどうかは分からない。だが、数学を用いることで逆にイメージが広がって自分の知らない美しさに出会うことがある」







Dir. WOW - Motion Texture


日本のデザインスタジオWOWによる映像作品集。
Motion Textureは初期のCGアニメーションと制作背景や思想面では異なりますが、
ホイットニーを彷彿させる動きの調和を作っているソフトウェアはCinema4Dという3DCGツール。3DCGのソフトウェアの中でも特にCinema4Dはモーショングラフィックスを作るのに最適なソフトと言われおり、その理由はインターフェイスがAfter Effectsに似ていると言う点や、オブジェクトの複製パターンがグリット的なデザイン表現にマッチしてて、動きやオブジェクトの反復などホイットニーの時代のCG作家が開拓した表現をソフトウェア自体が引き継いだように思えます。それが、僕が現在のモーション・グラフィックスとホイットニーなどのCGアニメーション作家の文脈と繋げたがる理由です。

また、After Effectsであれば、CS3以降ベクターベースのシェイプによるアニメーション表現が可能になったことによって、素材の合成や加工(風合いとか質感のようなもの)に注目されがちだったのが、中村勇吾のような洗練されたモーションデザインのビデオが00年代後半から出現するようになってきました。シェイプレイヤーはアニメート以外にも素材の複製や線の加工を数値入力で加工できる点も過去のCGアニメーションのような要素を複製反復させた表現と重なる部分といえます。

このように、ツールの進化にともなって作り手のイマジネーションやトレンドとなるアプローチが変わっていく流れを見ると、先に紹介した木本さんの『数学を用いることで逆にイメージが広がる』という言葉を思い出させます、つまり、テクノロジーを用いた表現はツールが作り手のイメージを拡張させてるんじゃないか、と感じさせるところがあるのです。




ーー
■ソフトウェアとハイブリッド表現

さらに現代ではAfter EffectsやCinema4Dなどのデスクトップ上でモーショングラフィックスが作れるようになり、次第に手書きのアニメーションや実写映像などの素材がCGと融合し、コンピューターだけでは完結しない表現が生まれたことによってモーショングラフィックスの定義が曖昧になってきたと考えられます。

特にコンピューターの特徴といえば、オブジェクトを複製する『コピー&ペースト』が挙げられるでしょう。ここでCGで完結してないビジュアル・ミュージック作品の例をご紹介します。




Eyes by 辻川幸一郎
男性と女性の瞬きする動画素材二つのみで作られた作品。




Kingdom Crumbs - Evoking Spirits... by ori toor
手書きのアニメーションを膨大なコピペをレイヤー構造を与えてつくられた、まさに量が質を生んだ作品。



Roaster by blobby barack
こちらも手書きの素材をタイムラグを起こして新しい形を生む瞬間を与えたアニメーション作品。




手書きにしろ実写にしろ、オブジェクトの過剰な複製表現は、その作品においてコンピューターの依存度が高いことを証明しているし、ジャンル付けを考える際にモーショングラフィックスという言葉を想起させるのは、ホイットニーの『アラベスク』や『マトリクスⅢ』などのオブジェクトの運動によるラグ表現をダブらせるからだと私は考えています。



ーー
さらにCG表現が一般化した時代(ハード・ソフトの低価格化とyoutube・vimeoが普及し作り手が増加した00年代)にモーショングラフィックスのようなデジタル表現をアナログで再現したような映像作品が出現して、モーショングラフィックスがより曖昧な定義になっていきてるんじゃないかと僕は考えてます。


モーショングラフィックス的演出を実写で再現 その1



モーショングラフィックス的演出を実写で再現 その2


PRESS + from ducroz on Vimeo.
デジタル(3DCG)をアナログ(紙に出力)に変換



ビジュアライザー的表現をストップモーションで再現。




実写、3DCG、2DCGの融合+シルクスクリーンのようなグラフィック処理



Flashアニメのようなベクトルアニメーションを手書きで表現。
ちなみにRichard Negreは、毎月1本(一年かけて12本)の抽象アニメーションを作った面白い作家さんなので、彼のvimeoページでぜひチェックを。


などなど、
それまでグラフィックデザインと映像が融合した表現がモーショングラフィックスと言い切れたことが、次第にハイブリッドになったりアナログでデジタルな表現を再現することによって、モーショングラフィックスの定義が曖昧になってきました(というか、元々この文脈は作り手が圧倒的に多く、文脈を整理するキュレーターや評論家がほとんど居ないのが致命的だと感じます)





ーー
■まとめ
CGアニメーション&ソフトウェア表現が可能にしたこと

  • CGアニメーションはビジュアルハーモニーのために採用された手法
  • ソフトウェアが初期のCGアニメーションの作家の方法論を継承している
  • 過剰なコピー&ペーストが可能になる
  • ハイブリッド表現の出現(によって定義が曖昧になる)
  • アナログがデジタルを再現する表現の出現(さらに定義が曖昧になる)
が挙げられます。
モーショングラフィックスがなぜ初期のCGアニメーションと関係性が見いだせるのかも、ソフトウェア自体が初期のCGアニメーションの運動の反復や素材の過剰な複製表現を可能にしたからだと考えられます。そしてデジタル表現そのものに敷居が低くなったことで、ハイブリッド表現の出現やアナログ的な手法でデジタル表現を再現する表現も生まれていったんじゃないかと考えられます。

CGアニメーションとモーショングラフィックスを結びつけることで、より広い文脈を考えていけそうな気がします。例えばナムジュン・パイクなどのビデオアートがビデオエフェクトの表現を開拓したり、近年のギーク文化やメディアアート表現からの影響(グリッジやアンチエイリアスをかけてないカリカリCG、3Dスキャン映像、GIFアニメ、ジェネレイティブetc...)とCGアニメーションの関係も踏み込む必要もありそうですが、このエントリーだけだとまとまりきれないので、また別の機会に。。。


モーショングラフィックスの文脈の記事は、コレ以降は気が向いたときに更新する予定ですが、自分なりにまとめてみて思ったのが、モーショングラフィックス文化として開いてるおかげで色んな文脈から美味しい要素を吸収してビルドアップしてるんだなー、と。というか調べれば調べるほど、どう定義して良いか分からなくなってしまったという(雑な感想ですが、、、)


本業は、自分の正しさを形で証明していくので、文章で証明していく活動は今度力は入れませんが(元からそんなに頑張ってはいないけど、、)またなにか気になることがあったら記事をリリースしていこうと思ってます。