2018年1月11日木曜日

「DAOKO - ぼく」MVについて

DAOKO - ぼく
Director: takashi ohashi
Character designer: 丸紅茜
2D animator: yukie nakauchi, スズキハルカ, ryosiro
3DCG Designer: tetsuji ono(UZURA)
Graphic designer: kento mori 
Photographer: kenichi inagaki

12/20リリースのDAOKO2ndアルバムの初回特典盤に収録されている「ぼく」という楽曲のMVを企画+演出+コンポジットとかモーション担当しました。「キャラクター化したDAOKOと歌詞が組み合わさるリリックビデオを作って欲しい」というお題を総監督の佐伯さんからいただいて、曲のタイトルも「ぼく」なので現代において自己を語る面白いテーマは「自撮り・インスタグラム」だなとぼんやり考えながら企画を固めていきました。

実際仕上がったMVは「AR自撮りアプリで遊んでたらARの世界に吸い込まれてネット空間をさまよう」というプロットに固まったんだけど、なぜ上記のプロットが固まったのか?実際作ってみて参考にした作品や気を使ったところはどこかを言及した記事になってます。

今回の記事の流れは

MVを作るにあたって目標にした作品(リファレンスの紹介)
直面した問題点と解決法
各要素の解説



と、だいたい流れはこんな感じ。


IU”Palette”の影響
元々インスタを題材にしたMVを作りたかった理由にIUという韓国の女性シンガーのMV”Palette”の影響が強かった。ライティングに拘った艶っぽいIUの魅力は勿論、唐突に差し込まれるグラフィカルな物撮りインサート、IUのパーソナルを描くモチーフとしてのインスタグラムのスクエア、そして力の抜き加減が絶妙なレイアウトやワイプ表現など、MVが公開された2017年当時のムードをビジュアイズしていて何度も繰り返し見た。


今回のDAOKOのMVではIUのMVの影響をモロに受けてるカットがいくつも登場するし、工数の問題に直面したときも「物語シリーズ」の影響もありつつも、土台になってる影響はこのIUのMVだ。

自分はアニメーションの監督だけど、KポのMVみたいなムードを描いたMVを作りたい!!!という衝動がハンパじゃなかったし、DAOKOの曲を聞いたときは緩やかなシティ感のあるブレイクビーツやチルウェーブ的な転調など歌謡曲的な作りになっていないので、KポみたいなMVが作れるかもしれないと直感した。

他にもKポではないけど影響を受けた作品としてARやヴァーチャル空間を題材にしたプロットになったので、LOVESTREAMSや、同じ現実だけど世界線(パラレルワールド)を題材にしたシュタインズゲートという作品の影響もかなり大きい。

しかし実際上記を参考にして5分以上あるMVを作るためにはいくつか障壁を乗り越える必要がある。それは作画アニメの工数の問題だ。


工数の問題
女学生+リリックというスタイルは文學少女四味一体に続いて今回で3回目になるけど、シティ感のある緩やかなブレイクビーツとサビのあとにもう一度大きな転調(というかチルウェーブ風のダウンテンポ)が展開される構成で、初めて曲を聞いたときの印象は尺も長く展開の弱いメロの割合も多くて映像にするには難しそうな曲という印象だった。

難しいと感じた理由にはアニメは予算とスケジュールを逆算することで作画アニメの工数が決まってゆき、その時点での作品で出来る演出の振り幅が決まってくる(どれくらいの作画アニメを入れられるのか、CGの撮影が出来るのかetc...)。いくら監督がどんなに気合のこもったコンテを描いても水道やガスのように蛇口を捻れば作画が湧いて出てくるわけではない。アニメーターにも生活があるので現実的に作れるアニメの工数には限りがあるのだ。

バジェットで作品の規模感が決まってしまう話は貧乏くさいしダサいけど、自分以外のスタッフを巻き込む以上、工数とどう向き合うか避けては通れないことである。音楽系の案件はとにかく予算が限られてるので、アニメーションを使った演出の場合アニメーターの負担にならないようなキャラデザをするのが最適なのだが、今回はそうはいかなかった。


演出の方針を決定付けたキャラクターデザイン
企画を固めてる段階でキャラデザは同人作家で人気の丸紅茜さんに決まった。私自身も大ファンの作家(コミティアで同人誌も買った。。。)なんだけど、実は最初は丸紅さんをキャラクターデザイナーに起用するのは反対だった。

丸紅茜さんのサイトから拝借
所謂プロダクションワーク的な細かな分業によって作られるTVアニメのキャラデザとは違って、イラストレーターの手癖のあるタッチと自然な人体のプロポーションが土台のキャラデザは高い画力が必要なため、予算と制作期間的にリスクが大きすぎると想定できた。

そして予算の都合上MVで使われるアニメのバリエーションが少なくなりがちである。例えば大抵「歩く」アクションをループさせまくる演出が多いのも「動かさなければ間がもたない」という前提がある。そしてこの素材の使い回しっぽさが映像の安っぽさと繋がってしまう。

丸紅茜さんのサイトから拝借
しかし丸紅さんの作風なら頻繁に動かさなくてもレイアウトで持たせる説得力のあるデザインが上がってくる可能性もあると思うようになってきた。丸紅さんの作風のもつスタティックな趣というか、止め絵だけで保たせる説得力のあるキャラデザはアニメーションMVで必須の「作画枚数で物を言わせたパワープレイ」とは違った演出の提示が出来るんじゃないかと思えてきた。

もし、丸紅さんがキャラデザでなければ、今回のMVの演出のようなレイアウトだけで見せるような演出をふんだんには取り入れなかったと思う。自分の思い通りにならないことが悪い結果に結びつくこともないし、結果、座組みの妙だなと終わってから気付かされた。

そんなこんなで「ぼく」を聞きながら


バジェットと制作期間を逆算してアニメの工数を見積もる
(丸紅さんのデザインをアニメーター三人別件平行しながら3週間抑えると一人につき8種類前後かな。。。)



可能な工数と楽曲のムード・テーマを辻褄合わせして考えられる企画と演出を提案

(尺長いし1コーラスにサビ二回あるしCGだけのシーンがほしい)



起伏のないメロの尺が長いのでグラフィカルなレイアウト中心でも成立する演出が必要

(背景に写真メインとかグラフィックだけのインサートを入れよう)



自撮りアプリとARアプリを融合した架空のアプリを題材にしたMVにしよう

(レイアウトで勝負できる)

上記の流れを咄嗟に思いついた。

ちなみにDAOKOのデザインは制服姿なんだけど、「かけてあげる」のMVとは違ってブレザーを羽織っている。これはバストアップをたくさん描くことを想定してるので、バストアップだけで見ると青いニットをきてる女の子にしか見えない可能性があるので、ブレザーを羽織っているというのがそのの理由である。


アニメーターの割り振り
アニメーターを三人抑えることが出来て、曲の構成もメロはレイアウト中心でサビはガッツリ作画アニメにする構成が決まった。アニメーターの得意とするトーンや画力に合わせて割り振りを決めていく。

描くキャラは一人だけなんだけど、なにぶん制作期間の短さと工数を考えると出来るだけアニメーターには制作のストレスを感じさせることはしたくなかった。そこで、それぞれ担当するパートをアングルの寄り引きでまとめることにした。

レイアウト中心(一部簡単なアニメーション)... スズキハルカ
バストアップ中心のアニメーション... ryosiro
フルフィギュア〜ニーショットのアニメーション(一部バストアップ)...中内友紀恵

だいたいこんな感じの割り振りになる。


レイアウトメインに担当してくれたスズキさんはイラストレーターとしても活動してるのでレイアウトが大事なシーンは任せられると判断しました。実際仕事がとても早くて20カット近くあるレイアウトを他の作画アニメのパートを平行しながら2週間半ぐらいで仕上げてきてくれて、早い段階で仕上がりのイメージを作っておきたい立場としてとても助かりました。



バストアップを担当してくれたryosiroくんは、中内さんの紹介でアサインした。元々twitterで女の子を描くのが上手い人という認識だったのでバストアップは任せられると思ったし、二次創作のような他人がデザインしたキャラを自分のものにしていくスキルもあるので、安心して任せられる。


フルフィギュア〜ニーショット担当の中内さんは、自分の仕事でなくてはならないアニメーター。画力がとても高いので、難しいとされるフルフィギュアのアニメーションも丸紅さんのタッチを完全に再現しながらカッコよくアニメートしてくれて映像の完成度に直結するシーンをたくさん描いてくれた。そしてとにかくDAOKOを可愛く描いてくれて最高でした。


工数に合わせてプロットを詰める
なんとなく工数と曲の尺で考えられる見せ方としてグラフィックや写真、CGのインサートが使える題材を探していた。インスタという題材でもそれらのモチーフは使えなくもないけど、どうしても自撮りするDAOKOを中心に使わざるを得ない設定になってしまうので、インスタ以外にもう一つ題材を用意して組み合わせる必要があった。

そこで「ぼく」という曲の印象的だったところを掘り下げていくと、この曲をリリースした当時メジャーデビューしたばかりの若いアーティストがインディーズ時代では好き勝手曲を作ってきたけどメジャーになって大衆に届けなくてはいけないという立場になったことでの自信の無さを赤裸々に書いてるところだ。

特に「何なんだ気にしない神経羨ましいんだ図太い人間が」がSNSで他人が作ったものに対して無神経な言及をする図が思い浮かんだし、なんとなく陰湿で悪意を感じさせる文体だったので、ネット空間をイメージした世界観が描けるんじゃないかと思った。

そこでインスタグラムのようなアプリにARの機能が搭載してて、撮影した位置情報を記録してカメラを翳すと撮影した場所に写真がマッピングされるという架空の自撮りアプリ「ぼく」を題材にしたMVがここでようやくまとまる。そしてこのARの世界にDAOKOが吸い込まれて自撮りした自分と向き合っていくという大まかなプロットが形になった。


CGで描くチルウェーブとインターネットの世界
ベットルームミュージックも死語と化した2018年だが、クラブに行ったことないけど妄想でクラブミュージックを作る世代に生まれた音楽の一つ「チルウェーブ」が、今回の演出に大きなヒントを与えてくれたといっても過言ではない。

サビのあとに唐突に転調しながら耽美で霞みがかったシンセ音とヴェイパーウェイブ的な気ダルいダウンテンポなど「ぼく」を初見で聞いた時、とても「インターネットっぽいな」と感じた。というかDAOKOも元々はニコ動出身のラッパーだったし、MVの相談を受けたときインディーズ時代の音源を聞いたときの内相的な歌詞や音源のムードに近くて腑におちた。

ARアプリの世界を描くとき写真以外のモチーフとしてネット空間を使うアイデアがここで生まれた。全編DAOKOの自撮りを題材に描き切るのはさすがに工数的にもキツイし、なにより音楽のムードがダウナーだったので、1パート丸々CG(ARなのでグーグルマップに位置情報を記録したピンをカメラが追っかけてくシーンとか思いつく)の世界にしていった。結果的にそれが「ゆめにっき」のような内省的な空間に相似したと思う。



メロ:自撮りシーン(写真とアニメ)

サビ:アニメがよく動くシーン
チル:CG(ネット空間)

という感じで構成が固まっていった。

チルウェーブという妄想が形になったネットミュージックを扱った楽曲なので、妄想キャリブレーションの激ヤバ∞ボッカーン!!のMVのようなインターネットの平べったい感じや匿名性を感じるリファレンスにしたが今回も同様のことをCGで描きたかった。

CGデザイナーは激ヤバのときと同じくUZURAの小野さんに依頼。小野さんは元々アートディレクターとしてのキャリアを持ってる人なので、「インスタ感」という企画に的確に答えてくれてDAOKOのパーソナルカラーの青を基調にしたグラデーションのトーンの時計のCGを作ってくれたり、また終盤のGoogleマップの世界が崩壊するシーンも、どことなくOZを彷彿させてくれる白を基調にしながら破壊的なトーンにしてくれたりと、世界観を構築するうえで欠かせない人でした。




チルウェーブシーンのマップにスマホのモックが刺さってたりスクエアが複数列をなしているのもvimeoやtumblrで見かけるインターネットのイメージから引用していて、デスクトップのイメージや、CGのフッテージをネットで拾ってきてテキトーに組んだだけの手癖のない匿名性とかをイメージしてる(ちなみにスマホのモックのCGは小野さんが一からモデリングして作ってくれました)

一部小野さんにモデル→アニメートをしてもらった素材をこちらで加工したシーンもあって、リンゴが伸びるシーンや、終盤の背景のグラデーションにはディザリングというGIFアニメをTumblrにアップする際に出てしまう画像の圧縮処理を再現するフィルターを使っている。限られた色数で画像本来のトーンを再現するためにハーフトーンのような点描で色数を稼ぐ処理がGIFを彷彿させるネット空間っぽい趣だと思った。


コストバランスと作品トーンに貢献した写真
歌詞に描かれてる「他者の視線」であったり「自己嫌悪感」を描くためのトーンとして重要だったのは写真のニュアンスだった。画面を保たせる以外にもモラトリアム抱えた若者が社会をどう見ているのかをしっかり描きたかった。

「実写(ないし実写的)+アニメ」のトレンドで考えると京都アニメーションや新海誠作品のようなレンズ感やフォーカス感にこだわったようなルックを想像すると思う。ただ「ぼく」という楽曲には上記の撮影技術で描かれた「青春のきらめき」のようなシズル感は一切ないし、むしろ「ファ○ク・リアルライフ」みたいな社会にモラトリアム抱えた陰湿な若者の視点を感じる写真のニュアンスにしたかった。

この陰湿さは、サビのあとのチルウェイブの転調のくだりが特に顕著で、チルウェイブ自体がクラブに行ったことのない若者が妄想で作り上げたクラブミュージックという文脈もあって、インターネットの平べったい感じによく合いそうだと思った。

そこで、物語シリーズのような「写真+アニメ」のようなレンズのニュアンスにこだわるよりもレイアウトにこだわってるけどフォーカス感に凝り過ぎないスナップっぽさにしたかった。実写のカラコレも美麗過ぎないように明度を落としてアニメの素材を浮き上がらせつつ、不穏なムードを感じ取れるようにしている。(物語シリーズの影響は実写の素材を使う以外にも、グラフィックや文字だけのインサートシーンや日本の古典的な漫画のパロディなど大きな影響を受けた)

また、先に言及したインターネットっぽさは写真の扱いにも及んでて、複数の写真素材を矩形状にラフに重ねてドロップシャドウを落とす見せ方も、デスクトップに散乱するウィンドウやプレビュー画面の趣を感じ取って欲しかったからだ。

ただデスクトップリアリティ的な表現まで振り切ってしまうと、「あーネットっぽさねー」と表層的なところで受け手に消費されてしまう恐れがあるのでmura masaのジャケットぐらいの処理感に落ち着かせた。

写真を担当したのは稲垣謙一というカメラマンでミュージシャンのライブ写真からアーティスト写真まで幅広く活動してるのだけど、彼のラフなスナップもカッコよく、特に舞台が渋谷だったので土地勘的にも強いカメラマンが欲しかったので稲垣くんしかいないなと判断した。


イラストの魅力を引き出すグラフィック
MVは(契約の結び方にもよるが)基本ミュージシャンのものである。そしてファンが喜ぶものであってほしいという願いがあるので企画から一旦切り離して音楽のムードに寄り添ったトーンにチューニングして良いと考えている。インスタとARを題材にしているが、アプリのUIのリアリティよりも音楽のムードやイラストのタッチとの馴染みに合わせてデザインがチューニングされてる方が良いとおもった。

その辺をうまく扱った作品といえば(私はまったく関わってないけど)妄想キャリブレーションの桜色ダイアリーのMVだ。VRギャルゲーがモチーフになっており、現代テクノロジーを題材にしながらも文学的なニュアンスを含んだUIが曲のムードを壊さず架空のギャルゲーの世界観も表現出来ていて素晴らしかった。


劇中に登場する破線のかかったフォントは劇中に登場するグラフィックを制作した森賢人さんが趣味で作ってたBlueInk Fontというフォントを彼が提案したもので、まだキャラデザが丸紅さんになる前に「チルウェイブに合いそう」という理由で私も森さんの提案を採用した。


しかしこのフォントがとてもクセが強くて結論から言うと映像向きのフォントではない。大きく組むと線が均一なので少し大味に見えてしまうし、小さく組むと細いストローク(しかも破線してる)が背景と溶け込む可能性があったりと、結果的にこのフォントを土台に新しく作字することになってしまって、コストの見誤りが生じてしまってデザイナーに負担をかけてしまうことになった。

だが、チルウェイブのゆらぎのあるダウンテンポのムードとか、丸紅さんの破線かかった輪郭線の処理との相性はとても良くて、イラストと組むことで初めて真価を発揮するフォントだった。その辺の背景は森さん自身が同人文化の人であるしイラストレーターへのリスペクトを感じるグラフィックの提案(インスタのスクエア以外が青被せな配色になるとか)をしてくれて、1コーラス目のイラストとの見せ方に大きく貢献してくれたと言える。



まとめ
こんな感じで各スタッフの紹介も兼ねたDAOKO”ぼく”MVの記事について書き終えたけど、こうして自分の仕事を振り返ってみると、vimeoの個人制作映像カルチャーで育った自分としては、多くのスタッフを抱えた座組みによって作られる映像のほとんどが、そのスタッフィングの妙によって趣が作られていくのを改めて実感する。

なんというか個人で作る作品の魅力は、他者と技術やノウハウを共有しないから生まれる小宇宙っぽさというか、固有の言語や倫理観(???)によって作られるので、その尊さが魅力ではあるんだけど、どうしても作品の規模は小さくなってしまう。

だけど、チームによって作られる映像は、技術が共有されることで手癖による個性は出せない替わりに演出した私の想定を超えることが(良くも悪くも)起こるのがとても楽しいし(とてもストレスにもなる)、映像制作はナマモノを扱うのと似ていると先輩監督の言葉を思い出せてくれました。

それと、MVを作るとどうしてもパワープレイ必須なところもあるので、それに対するアンサーを提示したかったんだけど、結局マッチョな演出になってしまったなと反省。でも楽しいんだよ!マッチョな映像制作が!!!

ミュージシャンやそのファンのためのMVが〜とか言及したけど、かなり自分の趣味趣向が全開な内容だったんでDVDにしか収録されないMVだけあってネットでの反応がよく分からないので、感想とかガンガンツイットしてもらえると関係者は切実に喜びます。




毎回コンテ描くときが精神削れる。