2012年9月27日木曜日

【レポート】モーショングラフィックスの定義(2) - 抽象アニメーション編

前回でのエントリーではタイトルバックに絞ってモーショングラフィックスの歴史とか定義について話をしてみました。(改めて振り返ると)そもそも、何故こんな話をしているのかを振り返ると、以前CBC-NETというカルチャー誌や映像ライターの林ナガコさんとモーショングラフィックスについてトークをする機会があったのがキッカケです。モーショングラフィックスという便利な言葉のおかげで、前回ご紹介したような『タイトルバック』や『フライングロゴ』、After EffectsやC4Dなどのモーションデザインツールを駆使した幾何学的なアブストラクトやプログラミング言語を駆使したジェネレイティブな映像まで、いろんな表現に良い感じに『モーショングラフィックス』という言葉をはめ込んできました。ただ、イマイチ定義がよく分からないうえに表現が多様化してきていて結果的に都合の良い言葉になってしまったように思えきたので、今一度、現代のモーショングラフィックスと、それに影響を与えた可能性のある過去の様々な文脈の表現を繋げてみて、モーショングラフィックスの定義について考えてみたいな、という僕の個人的な思いで記事を書いてます。(普段このblogは僕のデザイナーや作家活動を告知したり活動内容を報告するblogになってます)

今回は音楽と映像のシンクロが気持ち良いアブストラクト(抽象)なモーショングラフィックスと1900年代から始まった抽象アニメーションとの関係に絞ってお話しします。


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アブストラクトなモーショングラフィックス


vimeoでMG作品を公開したり、閲覧してる方は知らない人はいないはず。細金卓矢氏のVanising point。もともとビーマニなどに代表される音ゲーで使われるBGA(バックグラウンドアニメーション)のために制作されたらしく、画面の規格も1:1と珍しいですね。2Dのモーションから3DCGへマッピング、手ぶれのようなカメラワーク、フィルムで撮ったかのような画面の四隅に出来たボケ等、よく見ると様々な技法を取り入れてあります。なによりこのビデオの特徴は音楽とのシンクロの気持ちよさ。公共的でグラフィカルなデザインが、動きと音が与えられることによって質感が表現出来ているのが面白いです。



Stefan Nadelman制作による、Lost Lander "Wonderful World"のMV。先ほどのモーショングラフィックスは公共性の高いデザインでしたが、こちらは生命の進化を連想させるような映像の構成とホイットニー兄弟の作品を彷彿させるような、アナログCGのような風合いが観ていて気持ち良いですね。






こちらはちょっと変わり種。
BENJAMIN DUCROZ監督による作品。3DCGで作られた映像を一度、紙に出力してから再度画像を読み込んでアニメーションにしてます。紙に出力することで、裂け目を入れたりシワを入れたり、さらにインクのドリッピングを被せるなど、アナログとデジタルを上手く融合させたアブストラクトなモーショングラフィックスと言えます。このようなイメージを紙に出力したものを再度コマドリで映像にする作品といえば伊藤高志の代表作『Spacy』を思い出します。



lexander Rutterford - Gantz Graf
オウテカのノイジーなテクノミュージックの微細な表情をしつこく3DCGでビジュアライズしたMV。上記のビデオは比較的リミテッドな表現に対して、こちらは音のビジュアライズに対して、CGのアニメーションの情報量がかなり詰め込まれてるのが分かると思います。

音同期をテーマにしたモーショングラフィックス、、特にAfter Effects(以下AE)や3DCGを駆使して作られたビデオは00年代からかなりの数で増えてきたと言われています。おそらくadobeのAEがリリースされた1990年代以降、特に制作環境のコスト低下とyoutubeやvimeoが普及し始めた00年代半ばから、ネットを通じて作り手同士がMGの作品を発表し、刺激し合って、結果そのシーンの盛り上がりが加速していったと僕個人は感じていています。



そんなアブストラクトな映像は2D/3D問わず様々なアプローチで作られてますが、その系譜を探ってみようと思います。







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抽象絵画と映像


そもそも抽象的な視覚表現はどのように発生し、そして展開し派生していったのでしょうか。さかのぼること1910年代、パウル・クレーやワシリー・カンディンスキーといった画家達がキュビズムや印象派のような「対象物がある/具象的」表現から、「非・対象/抽象」を描いた抽象絵画というジャンルが誕生した時代でした。特にパウル・クレーはドイツのデザイン学校「バウハウス」で絵画表現の理論化を推し進めた重要人物であり、音の画家という異名も存在します。それを裏付けるのが氏の講義記録や旅先でのメモを書籍化した「造形思考」で、フォルム(形態)やトーン(色調)の反復によるリズムやハーモニーの研究、音楽構造の可視化を試みたオブジェや図形楽譜のようなスケッチなどが記載されています。そして、クレーの有名な言葉で



「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、見ようとするものを描くことである



とありますが、音という視覚で表せないものを色彩や形で具体化することは、まさに「見ようとするものを描くこと」と通じていると思われます。そう考えると、現在の音のビジュアライズをテーマにしたモーショングラフィックスが存在するのも、現代のデザイナーが密かにパウル・クレーの影響を受けていると考える事が出来ますね。





リュミエール兄弟 - リュミエール工場の出口
さらにエジソンのキネストロープの発明に触発され、1890年代にはリュミエール兄弟が、現実の世界を動画として記録と映写の複合機『シネマトグラフ』を使用して映画を作った時代と近かったこともあり、当時の画家達は次第に自分達が描いた抽象絵画を動かしたいという欲求にかられたのかもしれません。事実、下のリンクに挙げたオスカー・フィッシンガーは画家としてのバックボーンがあり、ハンス・リヒターは絵画の音楽家というコンセプトの抽象映像「リズム21」を制作しています。



1800年末〜1900年初頭という時代にあった


  • 抽象絵画の誕生
  • フィルムを使った映像(映画)が誕生した時代

という二つの出来事を踏まえたうえで抽象アニメーションの流れを確認してみましょう。



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抽象アニメーション/絶対映画の誕生


1900年代初頭、ダダイズムという前衛芸術運動の中で様々な作家達が非・対象の映画を制作してきたと言われています。そのなかで1920年代には、ハンス・リヒターが「絵画に時間を与える」ことに挑戦した作品「リズム21」を制作し、抽象的なサイレント映画を発表しました。この作品の特徴はセリフやドラマといった何かに演技させるといった文学や演劇のようなアプローチが一切ないという点であり、描かれてるものは幾何学図形が移動したり伸縮したりするだけ。いまでは、このようなドラマ性(モノ語る)のない映像の事をノンナラティブ映像と呼んだりもします。抽象絵画に動的要素を与えて抽象アニメーションというジャンルを誕生させた先駆け的な人物と言えるかもしれません。(あと当時はフィルムで映像を出力した事を想像すると、フィルムのコマの羅列に描かれた無数の幾何学図形の反復は、抽象絵画のようにも見えたかもしれませんね)


ちなみに、「リズム21」と東京近代美術館に常設されている「色のオーケストレーション」には関係性があるという記事がとても興味深いのでご紹介します。


ハンス・リヒター《色のオーケストレーション》




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音楽と映像のシンクロ



Oskar Fischinger - Study NO.7
1930年、音楽と抽象アニメーションのシンクロを初めて試みたオスカー・フィッシンガーの連作。フィッシンガーも抽象画家というバックボーンがあり、具象的なイメージでなく、音楽の持つムーブメントを表現しようとした抽象的なアニメーションを作ったのもうなづけます。エジソンの蓄音機の発明され、そして映画のフィルムにサウンドトラックが加わったことで、音が発せられた本来の原因(NO.7の場合は本来なら抽象映像ではなく、オーケストラが演奏するイメージが正しい映像になる)とは別のイメージを与えることが出来た当時の時代背景から考えると、かなり衝撃的な映像作品だったことが想像出来ます。フィッシンガーのstudyシリーズを見ると、オーケストラの演奏の動作を思わせる箇所がありますが、以前リズムシの成瀬ツバサ君が「すばらしい演奏をすると、その姿は自然と美しいダンスになる」って言葉を思い出して、それを考えると、ダンスとアニメーションって似てるんだな、と思ったり。

ちなみに、フィッシンガーの絵画作品は、以下のリンクでご覧になれます。制作年が抽象アニメーションを作っていた1930年代の後のものが多いですが、映像作品のためのイメージボードのようにも見えますね。

Oskar Fischinger – Paintings in Motion







George Cup制作による抽象アニメーション。こちらは1979年の作品。先ほどご紹介したリヒターと見た目やアニメーションの動く感じが似ていますね。こちらはフィッシンガー同様に音楽のムーブメントを可視化した抽象アニメーションになっています。





Beeple - Century Gothic
オスカー・フィッシンガーを彷彿させる黒バックに抽象的な図形の運動、、のように思えますが、よく見ると様々な文字や記号(タイポグラフィ)が音のイメージに合わせて動いてるMG。ちょっととぼけた感じのエレクトロとタイポグラフィの動きのギャップがユニークで面白い。



Daft Punk - Around The World
音楽を動きで表した表現はアニメーション以外にも人間の身体表現=ダンスでも垣間みれます。フランスの映画監督ミシェル・ゴンドリーがディレクターをつとめたDaft PunkのMV『Around The World』。当時のダンスミュージックのMVがカメラワークとダンサーの顔の表情だけで表現することに嫌気がさし、感情表現を徹底的に排除し、音の動きをダンスで表現した傑作。ゴンドリーが若い頃に恋人と観に行ったバレイコンサートで、ダンサーが"動き"だけで物語を表現出来ていることに感動したことが、このMVを作るキッカケになったらしいです。ただ、ゴンドリーが他に制作したMVを見るとノーマン・マクラレンをアプローチのビデオを作っているので、確実に今回ご紹介してる文脈の作家達の影響は受けていると考えられます。


X (by Max Hattler) - KXFS Canal Commission
映像作家マックス・ハットラーが監督したKXFSのコミッション作品。噴水に抽象アニメーションを映写することで、水の揺らいだ表情と物理的な空間で昔のアナログCGのようなルックが浮遊する画がとても新鮮に見えます。ちなみにマックス・ハットラーは他にも様々な手法による抽象映像を制作してるので、彼のvimeoアカウントを是非チェックしてみてください。



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カメラレスの世界



ノーマン・マクラーレン - 色彩幻想
映像がレンズを通した世界を再現することが出来るメディアから、フィルムに直接絵を描いてカメラレスな世界(パースペクティブが存在しない世界)を表現することを可能にした手法に拡張したのが『ダイレクトペイント』と呼ばれる技法。1900年代初頭からダダイズムの作家がこの手法で非・対象の映像を作ったと言われていますが、カナダのアニメーション作家であるノーマン・マクラレンは、そのダイレクトペイントを用いて、音楽と映像の調和を試みた『色彩幻想』という作品を作りました。普段、僕らが見ている世界は空間(パースペクティブと空気の層)が存在してることが空気があるのと同じことにように当たり前のことであり、映画のようなパラレルワールドの窓として機能してる映像の接し方が前提にある価値観を切り崩したと言える作品だと僕は解釈しています。面白いのが、このアニメーションはフィルムで作られているという点です。映像を見ると、筆後が縦に走る演出が垣間みられますが、フィルムのコマ(時間)を連ねる構造が縦である特徴が如実に現れているのが分かると思います。いまの映像はコマの概念は同じだとしても、それが縦や横という構造が存在しません。ツールによって表現の特徴が出易いという点では、AEやC4DといったCGツールと共通するところがあります。






Jan Dybala JD Video - Vrgb VHS Visual Music Composition n.002
同じ抽象映像ですが、手法をアナログCGに変えてご紹介。こちらはVHSビデオデッキにアナログフィードバック/ディレイエフェクトをかませてアナログなCG映像になっています。アニメーションという言葉よりもグリッジと呼んだ方が正しいかもしれません。具体的な制作プロセスが不明な作品ですが、おそらくVHSのビデオテープに入った映像と音声に上記のエフェクターをかませてると思われます。こちらも、レンズを通した世界ではなく、フィルムに直接描いて映写するような、映像メディアの特性を活かしてイメージを立ち上げていく事と共通しています。(もしかしたらVHSテープにはカメラで撮った映像を、アナログエフェクターで抽象的に加工した。。。かもしれません)

ところで、この映像作品を見ていると、なんか懐かしさを感じると思ったらマクラレンのSYNCHROMYを思い出しました。



SYNCHROMY
電子音のピッチの変化に合わせて幾何学図形の大きさが変化する、まるでオーディオ製品のゲインを表記する部分のようです。細かい面分割からシンプルな画面にカットが切り替わったりビビットな配色が、先ほどご紹介したVHSのグリッジ映像と何となく彷彿させるなと感じました。




水江未来 - A long day of timbre
細胞や立方体などのモチーフを扱った日本の抽象アニメーション作家である水江未来の作品。思い描いたイメージを一枚一枚描くアニメーションという手法でも、そのイメージがカメラレンズを通した世界であるアニメが圧倒的に多いですが、水江さんの作品はレンズ越しの世界ではなく、パースのない平面的でとてもグラフィカルなルックなのが一目で分かります。細胞の量感よりも、運動と画面を覆い尽くす色彩がまず目に飛び込んでくる作品です。


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まとめ


こうして、1920年代の抽象アニメーションでオスカー・フィッシンガーから発生した音と映像のシンクロに挑戦した映像は、ノーマン・マクラーレンの『カノン』によって実写のストップモーションを駆使して楽曲構造の可視化が行われ、1990年代になるとミシェル・ゴンドリーや辻川幸一郎によって『実写の映像素材を使用して、具象的なモチーフを使いながらも、モチーフの運動で音を表現する』アプローチにまでに洗練された。現在では冒頭で紹介したようなCGを使ったMにまで拡張を続けているのが分かります。


さて、ここで一度ここまで紹介した抽象アニメーションと現在のアブストラクトなモーショングラフィックスに共通する要素をまとめてみます。現在の音楽の可視化を試みたMGが先ほど例に挙げた抽象アニメーションの影響は受けていると考えられます。


共通点として


  • 幾何学や抽象的な形が動く(または、音を"運動"で表現しようとした)
  • 物語らない映像(ノンナラティブ)
  • 音楽との調和
  • ツールによって表現の特徴が出る(フィルムのダイレクトペイント|C4DやAE)

が挙げられますが、これだけの共通項を考えるとMGの起源は絶対映画/抽象アニメーションと考えることが出来て、その元祖がフィッシンガーやリヒターといった作家になる、、と考えることも出来ます。そうなると、前回のエントリーでは「グラフィックデザインに動的要素を加えて画面を構成した映像表現で、その元祖はソール・バスではないか」という定義が揺らぐことにもなりますよね。


しかしMGという言葉が出来た1990年代、、つまりDTPと映像表現が融合した時代の視点から考えると、"グラフィックス"という言葉が"グラフィックデザイン"を指してる、、つまりMGはデザインの文脈の表現だったのでは?、という疑問もあります。というのも、ハンスにしろフィッシンガーにしろ、彼らは画家というバックボーンがあって、絵画に時間軸を与えたくて抽象アニメーションを作っていたのであり、1900年代の抽象アニメーションは絵画の文脈の表現と言えるかもしれません。


つまり、今日のMGが1900年代から始まった抽象映像の影響を受けている可能性は考えられるが、「絵画の文脈の抽象アニメーションを、幾何学が動いてる初めてのアニメーションだからMG(デザインの文脈の表現)の元祖は彼らだ」と言い切ってしまって良いのか、、と僕は思うのです。



しかし今後、MGに影響を与えたと考えられる文脈の表現に触れる機会があったとき、これらの定義も変わるかもしれません。例えば同じ動きとデザインの融合を試みた表現であれば中村勇吾氏をはじめとしたflash文化の影響を受けてモーショングラフィックスを制作した方や日本のアニメ文化から技法を派生させた方もいるかもしれません。


次のエントリーも一つの様式やジャンルに絞ってお話したいと思います。(いつまで続くかな。。。)

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