『こうこう | koukou』
無意味な言葉の可視化を試みた抽象アニメーション+肉声による多重録音作品
『見たモノを描いたのではない。見ようとしたモノを描くのだ。』
監督: 大橋史
作曲: 羽深由理
ミキシング: 滝野ますみ
歌: ルシュカ
ドラム: 田中教順 (from DCPRG)
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五十音節gif animation
koukougif.tumblr.com/
というわけで、無意味な言葉の音節の可視化を試みた抽象アニメーション『こうこう | koukou』をwebに公開しました!
今回は「無意味な言葉(音節)の可視化」をテーマにしたノンナラティブ(物語ない)作品になっていて、ニコニコ動画カルチャーで人気のシンガー、ルシュカの肉声をフューチャーした楽曲とシンクロしたアニメーションになっております。
恒例の作品解説ですが、今回は前半と後半に分けて書きました。全編では作品を作るキッカケとなった「無意味な言葉」と「音節の可視化」について僕なりの考えを記載しています。
・無意味な言葉とはなにか
animatopeは「オノマトペに命を吹き込む」CHANNELERは「言葉の変容に翻弄される物語」こうこうは「無意味な言葉(音節)の可視化」と着眼点がそれぞれ違うようになってます。
こうこうは、前作CHANNELERの反動というか、自己否定するような作品で、文脈とか受け手の理性に依存しない作品を作りたい、、という所からスタートしてる。美術的な文脈は意識はしてるけど、そこを理解しなくても楽しめる作品を目指しました。
つまり直感的に楽しめるジェットコースターのような作品にしたかったわけだけど、そうなってくると深みのあるストーリーやプロットがどうしても蛇足に感じてしまい、それが「無意味な言葉」を使った音楽、そして「音節」に興味が向かってきた原因だと思う。
本格的な制作のまえに、言葉とは何か?ということを音楽制作チームと共同でリサーチしていました。このリサーチは前作CHANNELERでの経験を引き継いだかたちをとっていて、発見したことを箇条書きすると、、
- 1音節でも意味は存在する(『す』は直線的な運動を現す言葉)
- 音節が増すごとに意味が具体的になる
- 音節には様々な運動がある(さ行は摩擦音、ぱ行は破裂音など)
- 親を意味する言語にアの母音が多いのは、仰向けで喋ろうとする身振りの言葉
- 無意味な言葉→身振りの言葉
- 成長の過程で知性を得て文体のバリエーションが増える
と、日本語において、このようなことが分かってきました。
そのなかで興味を持ったのが「1音節でも意味は存在する」という点です。こうこうは、無意味な言葉の歌詞を歌にしています。でも、リサーチで1音節でも意味は発生するのに無意味な言葉の歌詞は作れるのだろうか?という疑問でした。
そんなとき、元永定正の本「ちんろろきしし」を読み直していた時、絵と一緒に載っている短い詩のような文章に、まったく意味を見いだせそうになかったのが、面白い体験として印象に残っていた。
なぜ意味が見いだせなかったのか考えてみると、言葉の音節の数や組み合わせに原因があると分かった。1音節というミクロの状態で言葉を観ると、単純な運動を現すオノマトペのように見えてきますが、2つ以上の音節が組み合わせをマクロな視点で見ると、次第で意味が見いだせなくなる。
意味が見いだせないというより、具体的な情報が抽出された言葉ではなく、人間の口から発する音がダンスのような運動に純化していくように思える。
つまり、無意味な言葉とは幼少時代に親にコミュニケーションを計る言葉と同じ身振りの言葉だと考えた。
つまり、無意味な言葉とは幼少時代に親にコミュニケーションを計る言葉と同じ身振りの言葉だと考えた。
そして、人間の生の歌声のもつ肉々しい音の性質を、アニメーションというコマを積み重ねる表現でなら魅力的な形で可視化できるんじゃないか、と当時の僕は考えていた。
・音節の可視化
音が可視化するということは、具体的にどのような事をすれば良いだろうか。そもそも音は空気の振動であって、それが鼓膜を伝って聴こえてくる物理現象なので、当然ながら目には見えない。
昔、学生だったころ、絵本サークルに所属していたときに、サークルOBだった方に普段作っているアニメーションを観ていただく機会があった。そのとき僕が作っていたアニメーションは、音楽で使われているブラスやパーカッションが台所で料理をしているときの具体音のように見える作品を作っていた。
その作品が上に張ったLet's Cookin' Jamという学部二年のときに作ったアニメーション。
その作品を見たOBの人が
「キミの作品は音の輪郭をなぞってるだけだね。音の内側を描かないと」
という言葉がすごく記憶にのこっていた。話の意味は理屈で理解できなかったんだけど、直感的に自分に足りなかったものが分かって、体中にエレキが走った。
昔の作品は、楽器音を日常の動作に置き換えたメタファーを使っていたが、その表現方法があまりに説明的だったと理解でき、その言葉がキッカケで音を具体的な様子の動作に置き換えたメタファーを使わず、抽象アニメーションの文脈に興味に向かわせた。
そして音の内側を描くというのは、音を形とか具象性のあるイメージに置き換えることよりも、運動で表現するほうがより純度の高い状態じゃないかと考える様になった。
そして音の内側を描くというのは、音を形とか具象性のあるイメージに置き換えることよりも、運動で表現するほうがより純度の高い状態じゃないかと考える様になった。
音の運動や形を表現するのに、そもそも目には見えないので正しい方法は存在しない。だけど、作品にする以上、音を可視化したときに感覚的にならず、ある程度ルールとか理論を確立した方が良いと考えた。
なぜなら音楽にはピタゴラス音律や平均率といったパターン認識によって音階が作られているし、言葉の基になる音節も母音と子音の組み合わせによって成り立っている。音の可視化をテーマに作品を作るなら映像にも、ルールが必要だ。
そこで、オスカー・フィッシンガーのSTUDYシリーズを思い出してみる。
ストリングスを多用した楽曲と、鋭い線描の運動の同期が気持ち良いのと同時に、バイオリンなどの弦楽器が弦を摩擦する運動と、フィッシンガーの抽象的な形の運動が似ているように思えた。
そのとき、音を見える形に表現するには、音がどのような状態で発生する仕組みを理解して、その振る舞いを運動で表現すれば良い。
上のgifアニメは日本語の50音節をアニメーションにした表です。はじめは1音節ごとバラバラのgifデータをTumblrに公開してたら、ココのサイトの方がいい感じにまとめていただけました(ありがとうございます!)
人間の声は、楽器と大きくことなる点を言えば音色の数が豊富であったり、人によって声色が違うという点だ。
例えばバイオリンであれば、弓で弾いた摩擦音や弦を引っ張った音の二種類しか出せないのに対して、日本語は5種類の母音×9種類の子音の組み合わせによる音色の音が出せる。
この母音と子音の組み合わせをどのように可視化するか、というところから制作をスタートしていった。口や下の動きや空気の出方を参考にして、それを抽象的な運動にしてイメージを絞り出すように作っていった。
a…満遍なく運動が広がる
i…上下から平均した力が加わり押し潰れる
u…運動が真ん中に集まる
e…上昇感
o…上下に運動が広がる
k…角張った運動
s…素早く直線的な運動
t…跳ねるような緩急の強い運動
n…緩急のない滑らかな運動
h…面性を感じさせる広がりのある運動
m…分裂する運動
y…母音のiのようなつぶれたアクションから広がりのある運動にシフトする
r…曲線的な運動
w…輪っかが出来る運動
先にも書いた様に、このルールを決めた基準は唇や舌の運動から由来しており、例えばs行の音の多くは弦楽器のような摩擦音の一種である。摩擦という運動から運動のスピード感を強調するために直線的で細いオブジェクトでアニメーションを付けることにした。
しかし、これらに従って原理的にビデオを作ったとしても映像の構成として魅力的にあるとは限らない。1音節ごとにパターンを読み取ってはフレーズという音の流れを区切る要素がなくなってしまいタイムラインが散漫な印象を受けてしまう。
そこで、歌詞の構成によって、音節の数をいっぺんに読み解いてビジュアライズするかパターン認識に変化を与えて作ることにした。
例えばビデオの「ぱ ら ぴ り ぷ る ぺ ら」と、音が空間に点在するシーンを、最初は一音節ごとに運動を読み解いたが、ドラムとシンセサイザーが加わって曲が少し盛り上がったところで歌詞を二音節ごとに認識してアニメーションに起こした。(「ぱら ぴり ぷる ぺら」という感じ)
それによって、音節同士のつながりによって面白い形や運動を探って同じ歌詞でもアニメーションに変化を与えることが出来ると考えた。
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『こうこう』について、全編は以上です。
後半は歌詞や音楽、映像の込み入った演出について触れていこうと思います。
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