Director: OHASHI Takashi(takashiohashi.com/ )
Composer: HABUKA Yuri(yurihabuka.web.fc2.com/ )
Mixer: ISHIDA Taro(taroishida.com/ )
MC: ONIPARI
Mixer: ISHIDA Taro(taroishida.com/ )
MC: ONIPARI
Support Staff
Sound engineer: MOTOKI Kazunari
Sound engineer: MOTOKI Kazunari
言葉の変容
「言葉は知性に取り憑かれ、そして人間はその言葉に取り憑かれてるのではないだろうか?」という問いに適切なプロットとして私は「人間の一生」をベースにしたストーリーを考えた。取り留めのない主人公が淡々と成長してゆき、言葉のバリエーション(名詞、接続後、主語、動詞など)や言葉つかい(丁寧語やネットスラング)が変容する過程をシステマチックな構造にすることで、「言葉の変容」をダイレクトに鑑賞者に伝わるミニマルなアプローチがないかと考えた。
それを踏まえて具体的に音楽とビジュアルを作曲家の羽深由理と音楽家の石田多朗と検討してゆくなかで日本語の面白さを表現するのにはHIPHOPが適切なのではないかという結論に達する。HIPHOPは過去の引用(リスペクト)の繰り返しであると同時に、それは日本の俳句や百人一首も同じです。俳句は韻の固まりであり、言葉の扱い方も韻を踏む様なニュアンスであると言及し、百人一首の歌は、声を発した時に噛み心地の良さがあります。
例:「かきくえば かねがなるなり ほうりゅうじ」
この韻(フレーズ)を繰り返す構造に合わせて主人公の表情と言葉つかいを少しずつ変化させるアプローチは、プロットの練る段階で実現させたかった「ミニマルなアプローチ」に適切だと核心しました。
上の画像は作曲を担当した羽深由理による年齢に応じた言葉(文体)の変化を表にまとめたもの。この表に基づいて、MCのONIPARIがリリックを制作した。幼年時代は「あ」や「う」といった仰向けの状態でした話せない身振りによる言葉から、母音が「あ」で構成された言葉から疑問系の言葉に増え、物心つく6歳ごろにはほぼ全ての言葉が使えるようになり、10代では若者言葉、20代からは遠回し表現に敬語といったTPOをわきまえた言葉を使うようになる。
ここで改めてリリックを見てみる。
ぼく、カレーたべたい
ジュース飲みたい
それじゃない
オレンジジュース飲みたい
かき氷ならイチゴよりレモン
友達はみんな、ドラえもんよりも
DSのポケモンだって
ねーお母さん僕も欲しい
だって、もうすぐ誕生日だし
買って買ってお願い買って
ホント、一生の、お願いだって
ジュース飲みたい
それじゃない
オレンジジュース飲みたい
かき氷ならイチゴよりレモン
友達はみんな、ドラえもんよりも
DSのポケモンだって
ねーお母さん僕も欲しい
だって、もうすぐ誕生日だし
買って買ってお願い買って
ホント、一生の、お願いだって
(幼少期6歳以下)
最近、気になる隣のクラスのあの子
長い髪のテニス部のあの子
学校行くの面倒くさい
でもあの子に会えるならちょっとぐらい
行って帰りはマックでポテトフライ
でも買って友達とだべって
でも中間テストは明後日
良い点とらないとチョー怒られる〜
長い髪のテニス部のあの子
学校行くの面倒くさい
でもあの子に会えるならちょっとぐらい
行って帰りはマックでポテトフライ
でも買って友達とだべって
でも中間テストは明後日
良い点とらないとチョー怒られる〜
(10代前半|小〜中学生)
ありがとうございます
合格祝いに買ってもらったPC
TVよりもPCの前で
頬杖ついてかじりつくようつべ
リア充の先輩にはテキトーに、
話合わせる「ハハ、そうっすね」
現実は就活難民、またダメポ(´д`;)
社会の窓ってどこなの?カオス
ハイ!私はwebに興味があり
簡単なHTMLサイトなら作れます!
ほう、、、そういう人材を求めてます
合格祝いに買ってもらったPC
TVよりもPCの前で
頬杖ついてかじりつくようつべ
リア充の先輩にはテキトーに、
話合わせる「ハハ、そうっすね」
現実は就活難民、またダメポ(´д`;)
社会の窓ってどこなの?カオス
ハイ!私はwebに興味があり
簡単なHTMLサイトなら作れます!
ほう、、、そういう人材を求めてます
(10代後半〜20代前半|学生)
上司に褒められる、夢で目覚める
グッドモーニング出世憧れる
上司に怒られる、夢で目覚める
バッドモーニング冷や汗が流れる
グッドモーニング出世憧れる
上司に怒られる、夢で目覚める
バッドモーニング冷や汗が流れる
客に迫られ検討します
構いません休み返上します
その場しのぎでフワっとぼかす
休日出勤マジで引きます
構いません休み返上します
その場しのぎでフワっとぼかす
休日出勤マジで引きます
出来ればあんたとはもう二度と
会いたくないです、は〜疲れた〜
お得意様にはまた今度
一杯行きましょって、は~疲れた~
会いたくないです、は〜疲れた〜
お得意様にはまた今度
一杯行きましょって、は~疲れた~
(20代後半|社会人)
相手なんて知らねえよ 大抵最低な奴だよ
泣いてないでがんばれってうざいね
塞いでるわたしの心にサイレン
裸のままな働かないで
生きていけたらあたかも魚
はたから見たらただの馬鹿だ
はたまた頭また固まった
温まったまたか
あんたがったどこさ
戦った刀どこ置いてきた
母の腹から華やかな墓場
儚いあかさたなはまやらわ
泣いてないでがんばれってうざいね
塞いでるわたしの心にサイレン
裸のままな働かないで
生きていけたらあたかも魚
はたから見たらただの馬鹿だ
はたまた頭また固まった
温まったまたか
あんたがったどこさ
戦った刀どこ置いてきた
母の腹から華やかな墓場
儚いあかさたなはまやらわ
(言葉に人が取り憑かれた状態)
このように、シーンごとにリリックを見比べると、人間が言葉を覚える/使い分ける年齢に応じてリリックを書き分けているのが理解出来ると思います。
Animatope同様に音節に抽象アニメーションをシンクロさせつつも、リリックが韻をふむタイミングで抽象アニメーションから人の顔を描いたアスキーアート(以下AA)になるアイディアを思いついた。文字や記号を使うことで、本能の言葉が文字という知性を宿した形を得るという意図があるからだ。音楽もJazzyHIPHOPというより打ち込みメインのドライでフラットなシンセサウンドにラップがかぶさる演出に決まってゆく。
人の成長/変化を表す表現
日本語や英語など話し言葉には文法があり、目的に応じて決められた「型」があります。それは映像や音楽にも同じことが言え、CHANNELERの場合は言葉の変容をミニマルに表現するために適した型(構造)を時間軸に与えて表現することが必要でした。映画で使われるカメラの視点のカットを繋ぎ合わせたモンタージュの手法はスクリーンの中で描かれる舞台のスケールや、役者の感情表現を台詞ではなくビジュアルだけでも表現できる編集方法であります。しかし一人の男の人生と成長に伴う言葉の変化だけを描くというシンボリックな見せ方で表現したいと思いカメラから見た視点である必要はなく、また演出上、文字(フォント)を使うため、フォントのもつフォルムの美しさを損なうような演出、、例えばエッジをぼかしたりテクスチャーを施すような事は出来ないと考えました。そのため被写界深度、カメラぶれ、異なる視点からのカット割りや場面の変化などの映画的な演出も抑えて、映像を「別世界と見るための窓」ではなく、動きとシルエットだけが見えてくる平面的な見せ方にしました。
上の画像は映像の展開を練る段階で草案として出したスケッチボード
ビジュアル・ミュージックのあり方として、映像は物語を表現するためのメタファである必要はありません。物語は作品の入り方として分かり易くするためのアプローチにしか過ぎず、物語を描くという行為そのものにあまり興味もありません。問題は言葉の変容を時間軸の構造でどう表現するかであり、変化のさせ方としてHIPHOPミュージック特有の韻を踏む構造に着目しました。そこで私はドイツのアニメーション作家であるアンドレス・ヒュカーデの「愛と剽窃」という作品の構造を下敷きにし、韻を踏むときに人の顔を表してフレーズごとに表情や言葉つかいを変化させるアイディアを思いつくことが出来ました。シンボリックな顔をフレーズごとに変化させる構造にすることで物語はありつつも肝心な言葉の変化と、それに伴う主人公の変貌をミニマルに表現できるからです。
絵文字
文字はヒラギノ明朝体でタイピングできるフォントのみ使用している。ヒラギノ明朝体を使用した理由だが、言葉に取り憑かれた人間が魑魅魍魎としてゆく様を表現するために、実際のAAのようなプロポーショナルフォントを使用してグリッド上にタイピングするより、ヒラギノ明朝体の抑揚のあるなめらかな曲線のフォントを使って金剛力士像のような隆々とした表情のキャラクターを作品の終盤で作ることを想定していたのが一番の理由である。
文字を組む際のルールは
●ヒラギノ明朝体でタイピングできる文字と記号のみ使用
●大きさ、傾きは自由
●文字に輪郭線などを加えて太さを調節することはしない
●文字の造形をそこなうブラー、グローなどのフィルターを禁止
After Effectsのコンポジット画面。
フォントはアウトライン化したフォントのパスをシェイプレイヤーとして使って構成している。
このように、ポップなマテリアルで取っ付き易い作品ですが、完成させるまでに言葉のリサーチを積み重ね、演出に様々な制約を自ら設けて制作に挑みました。鑑賞者にとって作品との向き合い方は様々だとは思うのですが、僕自身は作者自らの言葉によってこの作品がより深化するものだと思います。そして今回のエントリーをご覧になって鑑賞するうえでの新たな発見があることを切に願います。
そして作品を完成させるまでに様々な方おご協力がなければ一年間モチベーションを維持して制作することは出来なかったと思います。この場を借りて感謝を致します。本当にありがとうございました。
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