2015年7月19日日曜日

BURNOUT SYNDROMES「文學少女」について


5月下旬に、約5週間ほどかけて作ったBURNOUT SYNDROMESのMV「文學少女」が公開された。自分がディレクションして作るMVは久々だったので、結構張り切って作ったつもり。これを作ってる最中はいろんな案件抱えて死にそうになったんだけど、無事納品できて良かったと心底思っている。。。

込み入った話はwhite-screenの記事にガッツリ書いてもらったんだけど、自信作は自分のblogに記事として残しておきたくなったので、こうして文字をおこしている。

この楽曲は、バンドの熊谷氏の実体験である「辛い学校生活の経験が、次第に自分の作品性につながっていった」っていうテーマをそのまま映像化してて、そこに文學をモチーフにしてる曲なので、活字を使ったアイデアとジャケットで描かれた少女をモチーフにしたリリックビデオを作ろうという風に話が転がっていった。

リリックビデオというと、大変限られた予算のなかで作られることもあって「リリックビデオ」という色眼鏡をかけて見られたくない、、という気持ちがとても強かった。活字でしかできない事や、活字だけでも魅力的に見せる世界観を作ろうという事が、今回の最大のミッションだったと思う。

自分自身、文学少年ではなかったが、元々古本屋街や古書のもつ年季の入った本の風合いや活字がざわめいてるようなエディトリアルの雰囲気が好きで、そこに妖しい色気を感じてた。その色気を思い出しながらMVを制作した。

タイポネタをおさらいすると。。。

  • 語りパート: ユニゾンになると明朝とゴシックが組み合わさる
  • 語りパート: 文學タイトルがアスキーアート
  • Aメロ : フォントを分解&再構築
  • Bメロ: 文字のパーツの一部がイラストになって絵文字になる
  • サビ: 文字の地と図が反転する
  • Cメロ: 描き文字によるアニメーション byターニー

ザっとこんな感じ。本来なら、これらのアイデアの中から一つだけ選ぶようなワンアイデアものが本質的だと思うんだけど、BURNOUT SYNDROMESがファンになってくれそうな人たちは、自分のような年齢や趣向ではなく中学〜高校生でアニメや漫画が好きな子たちなんじゃないか、と想定するとワンアイデアでは彼らの心に届かない。もっと濃厚さが必要なんじゃないかと考えた。

作画アニメの話をすると、ジャケットにも描かれていた金子開発氏デザインの少女を動かすにあたって、いわゆる商業アニメのようなプロダクションワークで作る予算も時間もなく、かと言って少女を全てイラストでやるには時間的な都合もあって難しいことは容易に想像できる。

であれば、作風が異なるアニメーターに曲のパートごとに作画をお願いすれば、それ自体が演出のアイデアになるんじゃないかと考えた。モーションのネタは1コーラスと2コーラス同じでも、担当のアニメーターが異なることで大きな変化が作れて飽きずに見てもらえるかもしれない。

キャラクターアニメーターは

1コーラス: 中内友紀恵


2コーラス: koya


大サビ: 植草航

とそれぞれ持ち味が異なる人を入れてる。1コーラスと2コーラスでモーションのアイデアはパートごとに変わらないので、作画にタッチを変えることで変化をもたせることができた。



そして作画リリックアニメはJOJO3部のOPアニメにも参加してる畳谷哲也


異なるカラーをもつアニメーターを、一つの映像作品のなかで起用する流れはlivetune の「transfer」の流れに影響を受けていて、あれは統一感のある作画素材を異なる世界観をもつ空間にワープしていく、というものだが、文學少女はおの逆のことをやってみた。

タッチに差異があっても、線と塗り(配色)ごとにレイヤー別けされた作画データに統一感のあるカラコレを施せば、作画の差異が悪い違和感として残らないと考えた。

作品を完結させることは今の時代一人でも容易にできてしまうけど、一方で一人で作れる規模や世界観には限界があると感じている(もちろん、個人で作品を作ることはとても尊いことだと思うしdisってるつもりもないです)

異なるビジョンや世界観を持ってる人達が、一つの作品に向かっていくことで見た事のないものが生まれるんじゃないか、というのが最近の自分の考え方。その方法論を試す機会を与えてもらえたことがとても嬉しかったし、ついてきてくれたアニメーターやデザイナーの方々に感謝っす。。。









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