最近自分のポートフォリオのサイトをTumblrに移行してから、全然コッチを更新しなくなったけど、ありがたい事に最近いろんな方から仕事を頂けて何とか食いつなげてます。最近はtwitterもエモいことを書き込むとキャプチャする人もいるらしいのでウカツなことがつぶやけませんね。
とはいえ、考えとかを言葉に一度落とし込む作業って学生の頃だとレポートとか論文で日常的にたってたのに、仕事が忙しくなって自分の考えを整理する機会が最近なくなってきたので、久々に最近考えてることをまとめてみる。
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大学二年の春休みにvimeoのアカウントを取得して来年の2月で6年になる。当時youtubeは360pxくらいの解像度でしかアップできなかった時代だったので、高解像度でカッコいいUIのvimeoは、英語のサービスしかない障壁もあったけど、とても魅力的なサービスっていう記憶があった。
とはいっても、youtubeとは違って認知度が低くて、コンテンツもまだ育ってなかった状況だし、アップすれば誰かが勝手に見てくれるような仕組み(関連動画っていう概念がない)でもなかったけど、ここ3年ぐらいで「作品性の高い映像が集まってるサービスといえばvimeo」っていうぐらいのパブリックイメージの獲得に成功してる印象がある。
おれが学部生のころは周りでモーショングラフィックスをガッツリやる人もいなかったし、vimeoを徘徊しても日本人の作家も少なくて全然友達できなかったけど、それに比べて最近日本でも個人でモーションやアニメーションやってる人もアカウントを取得する人が増えたなーと実感していて、その理由はvimeo自体が作品性の高い映像を見るサイトっていうイメージが定着してきて、逆にそこで作品を発表するっていうのは自分の作品性を評価してもらいたいっていう欲求があるんだろうな、と思ったり。
youtubeとは違ってvimeoは似たような思想とか価値観のユーザーが集まりやすい構造になっている。前者は作品に関連しそうな動画をページに掲載して、サービス自身が色んな作品と繋げようとしてくれるんだけど、vimeoの場合はそうじゃない。画像はomodakaのplum songのページ。関連動画に何故かBUCK-TICKのMVが出てくる。こういう偶然の出会いがvimeoにはない。
vimeoはユーザーによってキュレーションされた作品が見れる"channel"っていうサービスや、フォローすることでテーマに準じた作品が投稿と鑑賞ができる"group"など、「どんな人に作品を見せるか/どんな作品を見たいか」がユーザーのなかに明確に存在してるサービスといえる。ちなみに画像はvimeoの影響力のあるchannelの一つでもあるEverything Animated。それがさっき話した「自分の作品性を評価してもらいたいっていう欲求」っていうのと繋がるし、ここ近年の日本の作家が英語サービスっていう障壁がありつつも参加してる動機だと推測してる。
ただ一方で、コンペとかで作品のサムネイルとか見ると、「あ、これvimeo臭いな」って思う瞬間があって、実際に作品名を検索すると案の定ヒットして、しかもそれなりにpv数も稼いでたりする。「カルチャーの匂いがする」っていう言葉があるけど、作品がどういう環境下で育ったのかが垣間見える作品には、さっき話した「vimeo臭い」と感じてしまうし、逆にvimeoがそれだけ文脈みたいなものが育ってきてるんだなーと実感してしまった。
このへんとかスゴいvimeo臭いよね。
でも最近自分のなかで「vimeo臭い」感じにどこか窮屈さを感じてしまう瞬間があって、そのサービスのなかでしか広がらないというか、見る人を限定的にさせてる感じが面白くないな、て思ってしまう。
そもそもweb自体がテレビみたいに勝手にコンテンツを提供してくれるわけじゃないから仕方ないといえばそうなんだけど、youtubeみたいな普段意識してない動画に偶然出会っちゃう構造ではないので、広がりを感じないのか、って思ったり。色々vimeoの文句言いつつもあそこで動画の発表辞めるか?って訊かれたら辞めるつもりもないけど。。。
ただ最近文脈依存しすぎるのも、どうなんだろうなーーーって思ったりしはじめたので、考えをまとめてみた。
もうちょいvimeo臭さって何かを考えたいけど、今回はここまで。
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